Total Pageviews

Thursday, 23 December 2010

旅立ち

今日、知人の子供さんがNYのコロンビア大学に合格したという知らせを聞く。優秀な大学だ。まずはおめでとう、といいたい。子供は幼い頃からお手伝いをしたり、色々な意味で親のサポートをしたりと、そうやって成長していく。高校生までは同じ家で生活をし、大学になって巣立っていく場合も多い。子供が家を出たら、あとは大学を出て、社会人になって本当の意味での大人になっていく。この知人は、子供が大学に行くために家を離れていくことを想像しただけでも涙が出る、と言っていた。
同じ国にいるのだし、大丈夫ですよ。。なんて何の答えにもなってないが子供を持つ親としては、その気持ちは欲理解できるものであり考えさせられた瞬間だった。

色々な人に遭って、机の上だけでは学べないことも色々勉強するでしょうし、頑張って自分の信じる道を進んでもらいたいものです。僕も子供を持つ親としてロンドンからエールを送ります!

Tuesday, 21 December 2010

Snowman




このところ、欧州は大寒波の影響でかなりの雪が降った。ロンドンも例外ではなく、昨日の朝起きてみるとあたり一面銀世界。朝からある資料を送りに郵便局に行き、その足でオフィスに向かう予定だった。家の近くの郵便局までは歩いて5分だが、雪と凍りついた歩道をそろりそろり歩く姿はハタから見てきっと滑稽なものなんだろうが、周りの人たちも皆同じことを考えているようで、同じような歩き方をしているのがおかしかった。そうやっているうちに郵便局へ着く。中はクリスマスプレゼントを家族に送ろうとする人たちでごった返している。。30分ほどで何とか書類を送り、その足でオフィスに行こうかと思ったのだが、せっかくの雪だし、子供も学校はもう冬休みに入っているし、’よーし今日は午前中は子供達と雪だるまを作って遊ぼう’とまた来た道をそろりそろりと引き返す。家の前にある、コミュニアルガーデンで娘2人と一緒に雪だるまをの製作に取り掛かる。大喜びの子供達。しかしどんな雪だるまが良いのか。。。3人で考えた結果子供達の大好きな'The Snowman'というRaymond Briggsという作家が描いた絵本の雪だるまに挑戦することにする。。。




この’TheSnowman’は70年代後半の絵本でイギリスでは今までずっと子供達の一番のお気に入りといわれたクリスマスの物語である。このストーリーの中で、ある少年が雪のある日、庭でSnowmanを作るのだが、少年のベッドタイムの時に庭のSnowmanが生を受け、家族を起こさないように少年と一緒に庭で遊んだり、しまいには少年を連れて空を飛び色々な景色を空から眺め、そしてSnowmanのパーティーに行き、サンタに会うのである。勿論最終的には家に戻ってくるのだが、帰宅後その少年は家の人に気付かれないように自分のベッドに戻るである。そして迎えた次の朝、さんさんと輝く朝日の中でそのSnowmanは溶けてなくなっているのである。ただ、これはこの少年の夢物語であったのか、、と思うだろうが、実は少年はサンタからもらったスカーフをまだ持っていることに気付くのである。




子供が持つクリスマスの夢を非常によく表現した絵本である。この30年の間、この絵本に感化された子供達は相当な数だろう。うちの子供も例外ではなく、その夢は脈脈を受け継がれているのである。。。




。。。そうこうしているうちに僕たち3人の作った等身大Snowmanも出来上がった。このSnowmanに子供達は夢を託すのだろう。




今日の朝庭を見てみたら、僕達の作ったSnowmanのいたところには、帽子にしていたバケツと鼻の代わりの人参が溶けた雪の中に残っていた。子供達も夢の中でSnowmanと一緒に空をとんだのかな。

Tuesday, 14 December 2010

Technology

今日、ふとしたことからアメリカでの大学時代に一緒に勉強していたシリア人の同級生からメールが来た。大学時代はよく一緒に遊び勉強した仲だ。時代の流れというのか、卒業後音信不通だったのが、彼の方がふとしたことから僕のメールアドレスを探し出して会社宛のメールでコンタクトをとって来た。思わず懐かしさと嬉しさで飛び上がってしまい、速攻で返信メールを送ったのだが、彼の方もすぐに返信メールをくれた。’スカイプをONにしているから ’という短くも的確なメールですぐにスカイプでコンタクトをとる。ビデオチャットという僕達が大学生の頃は考えられなかったようなコミュニケーション方法だ。懐かしい彼の顔がモニターに写る。相変わらず低く渋いバリトンの声だ。嬉しいことに容姿はあまり変わっていない。今はシリアの首都ダマスカスでビジネスコンサルタントの会社を経営している大物だ。学生時代のことも含め色々な話しをした。家族で是非ダマスカスに遊びに来い。と誘ってくれたが独身ならまだしもチビがいる僕にはまだその勇気はない。余談だが随分昔-15年ほど前だがトルコのイスタンブールからからイラクの国境までバスで行ったことがあるのだが、子供はいなかった上、今はご時勢がご時勢だけに考えさせられるものもある。彼もヨーロッパの出張は多いという。近いうちに会えることを楽しみにしておこう。

世界には色々な職種で頑張っている同級生がいる。彼との話しの中で、あの当時の同級生達でreunionー同窓会ーをやろうか、という話しをした。色々な国の連中が一同に会して集まれたらさぞかし楽しいものになるであろう。真の意味での平和とはこういうことをいうのだろう。

スカイプを切った後に、これもITというテクノロジーのお陰だ、としみじみと感慨にふける自分がそこにはいた。

Tuesday, 30 November 2010

12月


今日オフィスの前の通りをあるいていたら旧式のダブルデッカーバスが停まってているのを見つけた。このタイプは年々減っている上なかなか見ることの出来ないタイプである。ひさしぶりの友達に逢うようでなんだか嬉しかった。


そうこうしているうちに12月になった。思えばこの一年めちゃくちゃ早かった。〔まだ終わってないけど)歳をとるごとに感じるこの加速度、恐ろしいものがある。。ロンドンはここ2,3日、雪に見舞われている。今日も外は雪が降っている。気温も最高で2度だと天気予報が言っていた。


とはいえクリスマスの季節にはぴったりの空気だ!我が家もクリスマスツリーの飾りつけも終わり、子供達もいつになく嬉しそうだ。自分が子供の頃やはりどことなく、うきうきして嬉しかった思い出がある。僕が子供の頃は、毎年父が庭にあるもみの木を掘り起こして馬鹿でかい鉢〔というのかな?)に植え替えて家の中に持ち込んでいた。僕が覚えている限り生まれてからずっとそうだったし、僕の姉、兄も小さなときから覚えているらしいので、相当昔からやってたんだと思う。記憶にある中では12歳の時のクリスマスが、そのもみの木を家の中に入れる最後だったと思う。年々でかくなりすぎて家の中に入らない大きさに成長した為だ。その後は庭に植えたまま、どんどん成長していった。〔余談だがこの木は僕が高校生くらいになると夜中にこっそり家を抜け出すときに僕の部屋から階下に降りる’はしご’の役目をしてくれた。ベランダからその木に飛び移って庭に降り塀を乗り越え、バイクのエンジンが聞こえないようにバイクを押してあとでエンジンをかけるのである。。。)


またクリスマスの時期といえば、音楽である。物心ついたときからBing CrosbyのWhite Chrismasのアルバムが毎日かかっていた。今でも空で歌が歌えるほど聴いたとおもう。あの音楽と冷たい空気、そしてZIPPOのライターと同じ匂いのするストーブのコンビネーションが僕を夢の世界へと連れて行ってくれた。きっとませた’がき’だったんだろうなあ。。今でもこの時期になるとBing Crosbyを必ず聴くのだが、8歳と4歳の子供達も大好きなようで最近毎日家の中にはBingの声が流れている。場所や、時を越えてもいい音楽とその雰囲気は自分の原点を思い起こさせてくれる。嬉しいことである。


Friday, 26 November 2010

France







久しぶりのブログ更新だ。つい先日フランスに仕事で行った。久しぶりのリヨンと、初めてのSt. Etienne〔サンティチエンヌ)である。リヨンは友人もいるし、昔よく行っていた街の一つで、ユネスコの世界文化遺産の街である。人も食事もパリともマルセイユとも違う雰囲気で僕はパリとは違った意味で結構気に入っている。

サンティチェンヌは炭鉱の町から発展した市であり、街も小ぶりでところどころに昔の工業都市的な面影が見受けられる。近年は、市をあげてデザインビエンナーレ〔2年おきの展覧会)を行い、年々出品者も増え、日本企業を含む海外の企業も出品したりしている。街をあげてのお祭り的な要素もあるだろうが、地元の関係者との話しなどでは真剣にデザインやアートなどの振興に力をいれている意気込みが感じられた。僕が滞在していたその週明けにはもう既に初雪が降ったとのことで結構な寒さだったが、街中のスクエアには簡易型の観覧車やメリーゴーラウンドが設置されていた。クリスマスに向けての準備なのだろう。ただ、いつも街中にいる時間は結構夜遅く、結局それらが動いているのを見ることはなかったけど。。ごった返すスクエアの中で観覧車やメリーゴーラウンドとかがきらびやかに動き、その周りのマーケットには人々が所狭しと買い物で歩き回る。。こんな雰囲気がフランスのクリスマス前の雰囲気だ。なんともいえない、冷たい空気の香りがまたいい。

クライアントと一緒にパーティーにも招待していただき、非常に楽しい思いをさせてもらった。パーティーのあと、ホテルに戻ってからまたバーで一杯、、と思いきやバーは元気な〔騒々しい〕若者であふれていた。何でも彼らはプロのフットボール〔サッカー)の選手で勝ち試合から帰ってきたばかりだという。体格も体力も半端ではない彼らも結構飲んでいたうえに、バー自体を占拠していたために、彼らの注がれるまま飲み物を奢ってもらった。別にたかりに来たわけではなく、バーで飲みたかっただけの僕にとっては思いがけない喜びでもあった。

サンティチエンヌのあとはリヨンに移動した。リヨンで友人で、ルノートラックのデザインのトップ、ハーべ ベルトンと一緒に食事をし、そのあとまたのみに出かけた。リヨンでは彼のお陰もあり、夜遅くまで非常に充実した時間が過ごせた。もう1,2泊出来たらなあ、と思ったがロンドンでもやること多く、彼とは 'See you in London!' といって分かれたのである。

今はただ、ルーティーンに戻ってやるべきことをこなしている状態だが、こういった文化のある街に行く事はデザインとしてだけではなく、人間としてもリラックスできていいものである。



Monday, 8 November 2010

言語

今日うちのオフィスのメンテナンスをやってくれている人たちと立ち話をした。一人はイラン人、もう一人はポーランド人である。
彼らは実に流暢な英語で話をする。ポーランド人の若者は僕が5年位前にに会ったときは英語がからっきしダメでおぼつかないような感じであったが、今日久しぶりにあったら驚くような変貌振りである。ただ、もっと驚くことに、実は英語以外の言語を2,3、話すことが出来ることである。確かに東ヨーロッパの連中は仕事の多いロンドンにやってくるケースが多い。ここ数年で何十万人というポーランド人が出稼ぎに来ているとも聞く。ただ、彼らはある程度の学歴と仕事の経験を持っており、仕事そのものもかなり丁寧で、安心していられるのも事実だ。そういった技術を生かすために西側に出てきて仕事をすることが目的であって、言語は道具、つまりツールでしかない。一時期の日本人が海外留学で言語を学ぶためだけに来ていた時期があったが、それは大きく間違っていたと言えよう。言葉は目的ではなく、それを使って何が出来るか、が本等の意味でのインターナショナリズムであり、実際ボーダーの近い欧州の国々ではそれが歴史的も頻繁に行なわれていたようだ。英語が出来ると、すごい、と思う日本人もまだいるかもしれない。しかし、英語はコミュニケーションのツールであるということを念頭において中身のある発言が出来てこそ、言葉としての意味を成す。中身はないが英語の発音は旨い、というのでは話にならないし、かえって、周りから馬鹿にされるのは必至である。勿論ネイティブのように流暢に話しをして、かつ話の内容が伴っていないとある程度以上に仕事は出来ないし、尊敬もされない、とみたほうがいい。こちらの地元の新聞を読んで、語彙を増やし、かつラジオなどを聴き、言い回しを勉強して、かつ専門分野を伸ばす。これが今の日本人にとって今後の重要な課題だと思う。勿論英語である必要はない。スペイン語でも、中国語でも、イタリア語でも何でもいい、日本の若者も見聞を広げ、自分の可能性をもっともっと探って、あたって砕けるつもりで頑張って欲しいものだ。

余談だが、今の日本の外交を見ているとまさにそれを強く感じる。へたくそでも良いから国際語としての英語で中身のある発言を対外的に言える人材を待ち望んでいる。今の日本政府はどうなってるのかね。まったく。。。

Sunday, 7 November 2010

natural history museum



そういえば、昨日子供達をつれて散歩がてら歩いて'Natural History Museum'恒例の屋外スケートリンクに行った。 http://www.nhm.ac.uk/visit-us/whats-on/ice-rink/index.html

11月5日から1月9日まで期間限定でのオープンなのだが、これが素晴らしく美しい。周りの景色も、音楽も、その雰囲気も、そして何より夕方の冷たい空気がよりいい感じを醸し出しているし、周りには簡易設置のメリーゴーラウンドまでもあり、童話に世界にいるようだ。NYにもロックフェラーセンターにスケートリンクがあり、僕もそこで何度かスケートをしたことがあるが、あれにも負けない美しさだと思う。お陰で今日は足が痛くて閉口した。日本もどこかの歴史的な建物の近くにこういった雰囲気のいいものを毎年冬場の行事のように作るようなシステムがあれば、いいかもしれないと思った。スケートをするしないに関わらず、気持ちの安らぐ場、として活用することが出来るのは非常にメリットのあることだと思う。