Total Pageviews

Sunday 9 October 2011

カントリーサイド




昨日はNational Trustのサイトの一つClandon Parkに車で出かけたのだが、到着してから土曜日はやっていない、ということが発覚。うーむ。何たる失態。せっかく来たから近くにどこかNational Trustのサイトがないか地図で調べると一つこじんまりとしたHatchlandというところがある。ロンドンを出た時間が遅かったこともあって、ランチには遅すぎるし、ディナーにははやすぎる時間ではあったが、そこにレストランも併設しているというので行って見ることにする。典型的な英国の田園風景と呼ぶにふさわしい美しい環境の中、なかなか立派な建物がある。ここのレストランで軽く腹ごしらえをすることに。スティルトンとブロッコリーのスープとフランスパン、それにジンジャービールという一見質素に感じられるが、まあ、軽食だから、とそれを注文。田舎、と日本語で書くと失礼だが、要はカントリーサイドの軽食には、あまり期待はしていなかったのだが、それはそれは美味しいものが出てきてびっくるする。ウエイターやシェフも出てきてサーブしてくれるのだが、彼らの接客態度といい、立ち振る舞いといい、ロンドンの都会のレストランと引けをとらないような洗練のされ方だ。



欧州や英国では日本でよく言う’田舎’という言葉は、日本のそれとはかけ離れたものがある。まず、ファッションや立ち振る舞いもそうだが、こちらの田舎はロンドンの中心地と変わらない洗練のされ方がある。日本ではまずありえないことだ。日本だと、’田舎’に行くと本当に ’いなかっぺ’ の文化があり、垢抜けない、という日本語がぴったりだ、と感じることも多かろう。こちらの田舎、つまりカントリーサイドでは都会で生活する人たちも多く生活している。つまり、仕事はロンドンで週末はカントリーサイドで、といったパターンの人々ガいるかと思えば、生活そのものはカントリーサイドで、何か重要なことがあるとロンドンにもある家へ出かけるような、要はカントリージェントルマンのような生活をしている人たちもいまだに多いということなのである。そういった洗練されている人達が周りにいると自ずから’田舎’は’田舎’では無くなるのである。ビレッジと呼ばれるところも、それを’村’と直訳するととんでもないことになる。美しいところが非常に多いのが常であり、それぞれのビレッジが何らかの素晴らしい特徴を持っているのだ。



日本も政治は中央集権でいいとしても、文化に関しては色々な地方ー’カントリーサイド’各々の特徴を前に出せるような考え方をしていかねばならぬ日が絶対に来ると思う。ただ単に思うだけでなくそうなって欲しいものだ。それぞれの地方が洗練されていくことによって日本人の民度はもっとあがることは間違いないだろうから。




(写真はスティルトンとブロッコリーのスープ、とジンジャービール)

No comments:

Post a Comment