Total Pageviews

Tuesday 31 May 2011

きゅうり から学ぶもの

今欧州では0104という大腸菌による食中毒が相次いで起こっている。亡くなった方もかなりいるようだ。どうもスペイン産の’きゅうり’から出たらしいということだが、イギリスのスーパーにいってもかなりの割合でスペイン産の野菜が売り場を占領しているといっても過言ではない。どこでどういう風に大腸菌が広がっていったのかはわからないが、欧州全土に広がる勢いを見せている。

この’きゅうり’で思い出したのが 故 司馬遼太郎氏の風塵抄という本である。この本の中で、きゅうりの話しが出てくる。一説を紹介したい。

以下引用ー

胡というのは、中国人が古来、周辺の異民族全体に対してそうよんだ。胡という語感に、デタラメとかトリトメナイというひびきが古来あり、今でも中国語で、フーホワ(胡話〕といえばたわごと、フーイヤン(胡言〕といえばデタラメ話しという意味になる。。。。。。。。。胡瓜は、奈良朝のころ日本につたわったが、渡来当時、表記として黄瓜、胡瓜が共に用いられた。黄なる瓜だから黄ウリという日本語が出来たと考えるのも愉快ではあるまいか。。。。。。、戦国末期ぐらいまでの日本は、胡瓜は黄にうれてから食べたらしいのである。。。。。。もっとも江戸時代になると青いままでたべるようになった。。。。


今問題になっているきゅうりからまわりまわって色々な知識が得られること自体が非常に得した気分になれるのであるが、逆に今回の’きゅうり’が一連の食中毒事件の原因である、ということが前述の’フーイヤン’(胡言〕ーデタラメ話しーとなって欲しいとも思う。これから来る夏、それも季節の野菜となれば、きゅうりにほかならない。一刻も早く事態が収束することを願うばかりである。

Wednesday 25 May 2011

ふと思ったこと

今日、日没時に車を運転していて、ふと思った事があった。
ロンドンの夜は暗い。夜のあるべき姿であり、そういう意識で周りを見渡すと。日本やアメリカに比べ、ここでの生活はほとんどのものが結構アナログで成り立っていることに改めて気がつく。日本では蛍光灯の電気がここぞとばかりに輝き、街中ネオンサインだらけ、その上最近はオール電化で全てをまかなうシステムもあるし、トイレに行っても自動でシートがあがったり、流すときもボタンをちょい、と押すだけ。。。これはちょっと考える時期に来ているのかもしれない。インダストリアルデザインという仕事がら電力とは切っても切り離せない立場にいることもあるのだが、省電力を考える前にいかに電力を使わなくてできるものがあるのかを考えてみるのもあたらしいアプローチかもしれないなあ、とも思う。前述のトイレに然り、キッチンや洗面所などもそうだし、一昔前極当たり前の生活として慣れ親しんだ事をすることも必要なのかな。今回の日本での大震災がなかったら、このようなことは考えてないかもしれないが、今僕達人間が出来ること、将来の子供達に残せる地球というモノは何なのか。。これからは人類が地球規模でのものの考え方をすることが必要だと思う。今後はもしかして、’モノ’のデザインではなく、’事’のデザインを組み合わせていかなければいけないのかもしれない。でもこうやってコンピューターを使ってブログ書いているのも電気のお陰なんだよな。。。矛盾しているといえばそうだし、本当の意味でのクリーンエネルギーとは一体何なんだろうか。。

難しいことを簡単に考えたり表現するのは難しい。簡単なことをわざと意味もなく難しく考えたり、もっともらしく表現するよりかは、もっと頭使うことは間違いないのだが。。。

Friday 20 May 2011

思い出
















昨晩、僕が11年前まで勤めていた会社での元同僚の送別会があった。前日のブログでもちょっとだけ述べたが、インドに家族で移住するという輩である。この会社は英国では最も有名なデザイン会社といわれ、若いデザイナー達はこぞってここの門を叩く。ちなみに僕がアメリカの大学でデザインの勉強をしているときの教科書ともなる本を書いたのがここの社長の一人だ。色々と'On the job training'で学ぶことも多かったが、今とは違った楽しいひと時を元同僚達と過ごせたのも事実である。僕がこの会社を去って自分の会社をここロンドンで興したのが11年前である。あっという間の11年。光陰矢如とでもいうのだろうか。。。会場に来ていた元同僚達に会ってより一層強く感じた。


会場は、昔僕達が毎日のように行っていたパブである。懐かしさとうれしさ半分で7時過ぎに顔を出すと、そこには懐かしい顔がたくさん並んでいる。まるで同窓会のような雰囲気である。それぞれ皆、単に老けたというよりいい大人の顔をしている。と表現した方がいいのかな。デザインを通してそれぞれ自分の道を探し当て、特化した専門分野の企業にはいったり、僕のように自分の会社を興したり、生き方は様々だが、こういった機会に顔がそろうと昔話に花が咲き、あっという間に時間が過ぎていく。久しぶりに昔にかえった自分がそこにはいた。

これも生きていく中での思い出の1ページなのだろうが、人間は皆こうやって思いでのページを増やしていくのだろう。人が生きると書いて人生というが、人に生かされているという考え方もあると思う。いずれにせよいい思い出になる送別会だった。インドに行く彼もこの思い出を胸に成功してもらいたいものである。











Thursday 19 May 2011

ロンドンの夏

今朝起きてみると真っ青な空とさんさんと輝く太陽が僕を迎えてくれた。
気持ちいい一日の始まりを予感させてくれるような、なんともいえない空気の匂いもあいまって、思わずにやけている自分がいる。

昨晩は友達のTONYと一緒に仕事の後に一杯引っ掛けに行った。常連と化しているケンジントンのパブなのだが、殊にこの季節、パブの庭で草木の香りを楽しみながら呑む’ぬるい’一杯はなんとも形容しがたい。またこのようなパブでは大人の雰囲気からでてくるイギリスの人間的で暖かい雰囲気をも感じ取れることが出来、幸せな気持ちになれるものでもある。ロンドンの夏は日が長く、6月にもなれば日没も10時くらいになる。この時期パブの庭で呑んでいると天空には半分が真っ黒な夜、もう半分が赤紫の夕焼けといったまるで絵の具を溶かしたような、自然のみがなしえることの出来る、それは見事なブレンド色を見ることが出来る。この独特な色合いはニューヨークやロンドンにはよく似合っていると思う。仕事の後に、また違った世界が楽しめるのがロンドンの夏の特権だ。12,3年前の随分前のことになるが、子供が生まれる前は仕事終わって、嫁さんとローラーブレードを担いでハイドパークに行き、あの広大な公園を一周40分ほどかけて廻っていた。その後の冷たいラガーだけを楽しみにして一生懸命汗をかいていたようなものだ。またあるときはテムズ川のほとりのパブに座り、ゆっくりと流れるテムズを観ながらまったりとしたぬるいビールを飲むこともあった。いずれにせよ、ロンドンの夏は最高だ。ここでは自分の時間、世界感を誰からも邪魔されずに過ごせる雰囲気を醸し出す土壌と気候がある。ロンドンの夏、それはある意味’大人’としての時間の過ごし方を自然と教えてくれているようなものだ。

今夜は英国を去ってインドに家族で移住する元同僚の送別会がある。彼は根っからのスコットランド人であり、15年前に一緒にロンドンのデザイン会社で仕事をしていた時に知り合ったのだが、今夜はスコッツらしく呑むのかな。彼のインドでの新たなチャレンジに敬意をこめ、成功を祈りたいと思う。

今日の’ロンドンの夏’もそれをまた特別なものとして演出してくれるに違いない。

Wednesday 18 May 2011

季節

久しぶりのブログ。毎日やろうと思っていてもなかなか出来ないでいる自分がいる。このブログを読んでくれている方何人かから、文字が小さくて読みにくい。。という意見をいただき、早速ちょっと大き目の文字で意図的にやってみることにする。自分のブログを改めて見ていると文字の大きさもばらばら。。出張先からブログをいれると文字の大きさなど気にせずやってしまう事が原因なのだが。。

さて、最近ロンドンは快晴で気持ちのいい日が続いている。朝夕はさすがにまだ寒く、時には冬に逆戻りか?と思うこともしばしば。これからが一番いい季節だ。来月末にはウィンブルドンも始まるし、いたるところで結婚式なども行なわれ、ロンドンが一年で一番輝いて見えるシーズンの到来だ。ジューンブライダルというのは、そもそもこの地域の一番いい季節のなかで行なうからそうなのであって、これを6月に日本でやるから、変なことになってしまう。梅雨の時期に、招待客も各々着飾っているのはいいが、傘を片手に参加。。。というのはいただけない。こちらで今まで招待された6月の結婚式はほとんど外で、レセプションが行なわれていた。これもこの一番いい季節だからこそできることで、よっぽどの場合を除いて誰も4月とか雨の多い冬の日にしようなんて思わないだろう。
いつになったら、日本人も目覚めてくれるのかな。。日本であれば、3月から5月、もしくは10月、11月くらいがいいのではないかといつも思うのだが。。考えてみれば日本で招待された結婚式のほとんどは6月だった。。

最近季節のいい事を理由にパブでビールを呑もう、とおもっているのだが、仕事が忙しくなかなか出来ないでいる。海外から出張などでお客さんが来てくれれば、色々理由をつけて呑みに行くのだが。。明日はパーティーに呼ばれている。丁度15,6年前にロンドンに来たときに一緒に働いていたデザイン会社の元同僚がその会社をやめてインドに行くらしく、その追い出し会-Leaving do-という奴だ。経済発展が著しい経済新興国として、ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカが BRICS とよばれてまだ間もないが、要はBRICS の一つであるインドに家族で移住するということらしい。今後の彼の成功を祈りたいものだ。

さてと、今日は一杯パブでぬるいビールでも呑めるかな。

Saturday 7 May 2011

バー



久しぶりのブログ更新。






3日前に日本からロンドンに戻ってきた。時差があるとはいえロンドンは日本よりも暖かく、その上日も長いのでなんだか得した気分だ。ブログというものはその日その日の様々な出来事や考えをタイムリーに書き出していかないといけないものなのだろうが、この2週間半の間、日本での滞在中にあまりにも色々な事がありすぎて時間もなくブログどころではなかった。ということにしておこう。(とはいえ、名古屋、浜松、東京、熊本、大阪 と夜になると不思議に時間ができてたから勝手なもんだ。。)




まず東京出張では必ず顔出す西麻布のバー無垢。ここに行くと日本に帰ってきたと思えるから不思議なものだ。薄暗いバーの渋い雰囲気でいつも癒される。無垢の渡邊さんの寡黙でダンディーな姿とゆっくりとした丁寧なトークが、このバーの雰囲気をもっとオーセンティックな雰囲気にしているようだ。日本について最初の1週間は仕事でバタバタしていたが、東京での仕事モードの合間にいける有難いバーである。今回の東京滞在中にいつも呑むラフロイグが、次の日の打ち合わせに行くときに汗として出てきたのにはまいった。。シャワーも朝から浴びたのだが。。


仕事モードが終わるとロンドンから連れてきた家族の待つ熊本で残りの日々を満喫できた。ちょうどいい感じの気温と熊本らしい初夏の匂いを楽しむことも出来、昼夜にかかわらず有意義なひと時を過ごす事が出来た。


ある晩、熊本の街で、TWO FIVE というピアノの絵の描いてある看板を発見。初めての店なのに’JAZZ’のサインにふらふらと入っていくとなんともいえない懐かしい雰囲気のこじんまりしたバーがそこにはあった。バーカウンターの回りは所狭しと色々な楽器がおいてある。何でもマスターの渡邊さんという方は全ての楽器を演奏されるという事で、ほろ酔い加減の僕のピアノの演奏にウッドベースでセッションしてくださり、JAZZバーだということも忘れ、挙句の果ては私の十八番フランクシナトラのFLY ME TO THE MOONをピアノとベースだけで歌わせていただきました。。歌詞も勝手に替え歌風にして歌ったのだが、いやー初めて飛び込みで行ったバーでとる行動とは思えないずうずうしさで今思えば苦笑いするしかない。。いやーしかし楽しかった。


その数日後、僕の知り合いが’VODKA BAR’なるいいバーがある、という話をしていた事を思い出し、忘れかけた熊本の夜の街をそのバーを捜すために散策。メインの通りから入った横丁を一つ一つ見ていくと、、ありました、FIRST DRAGON。ここのマスターの仲村さんという方は、もともとロシア第二の都市、サンクトペテルブルグの日本領事だった方で現在は故郷の熊本で空手師範として道場での活動をされている他に、彼なりにこだわりのあるサンクトペテルブルグ産のみのVODKAを出す店のマスターとして魅力ある雰囲気を提供されている。格闘家ヒョ-ドルの友人でもある控えめのマスターとのカウンターを挟んでのトークもお店の雰囲気にあっていて楽しいひと時を過ごさせていただきました。


今はロンドンに戻ってきてたまった仕事とのバトルが続いている。今度日本に行くのは6月の末になりそうだ。それまでまたしばらくはラフロイグもJAZZもVODKAもお預けだな。。。


(写真First Dragonの仲村さんと)