Total Pageviews

Wednesday 27 October 2010

次世代の教育

数日前のBBCのサイトでオックスフォード大学の試験ーインタビュー〔面接)のことが書かれてあった。思わずすごいと思ったのと同時に面白い、と思ったので、をなれないTWITTERで脳科学者の茂木さんにそのURL送った。

何がすごいのかって、、その場で予期せぬ質問があることだ。

例えば:

1.英文学の学生に対する質問:なぜイングリッシュの学生は、この50年もの間’コロネーションストリート’〔イギリスのドラマで日本でいう庶民ドラマ〕に興味を持っていると思いますか?説明しなさい。

2.音楽専攻の学生に対して:もしあなたが新しい楽器を発明するとしたら、それはどのような音をだすのか?説明しなさい。

3.生物学の学生に対して:ここにサボテンがあります。これについて説明しなさい。

4.神学〔宗教理論〕の学生に対して:エクストリームスポーツや、極限に挑む様なアクティビティーといった、命を掛けるようなことをする人たちはヒーローか?それともバカか?説明しなさい。

5.心理学の学生に対して:人間にとって’ノーマル’とは何か?説明しなさい

6.生態医学の学生に対して:なぜ猫の目は暗闇で光るのか?説明しなさい。

これらの例は、ジョークでもなんでもなく、本当にあった出題で、いかに理論的に自分の考えやアイデアを表現できるか、ということだ。これを見て、思わず唸ってしまった。というのも超名門といわれ、ノーベル賞受賞者もケンブリッジ大学の80数名についで50人近く輩出しているオックスフォード大学と、かたや日本の大学受験での入学システムの違いがあまりにもありすぎるからだ。日本の場合、暗記、公式、傾向と対策といったいわば詰め込み型の教育であり、思想的には自由度に欠ける。もちろん今までの日本の社会構成には非常にうまく機能していたと思う。というのも一度会社に入ればそこで教育をされなおし、うまく機能しながら出世していく。ただ、ここで僕が疑問に思うのは、このような従来の方式では、ある特定の才能に秀でている人間には向かない、ということだ。僕はなにもオックスフォード大学のまねをしろ、といっているのではなく新しい思想やアイデアを育めるような環境、それを取り巻く人たちが、今後、そういった人材が必要になるであろう時代を見越して、フレキシブルな教育体制を取れないものだろうか、ということだ。

日本の最近の若者は海外に行きたがらない人が多いと聞く。非常に嘆かわしい事であり、また問題でもある。政治家にしろ、医者にしろ、スポーツ選手にしろ今後の社会にはもっと広い思想をもって、色々な国の人たちと仕事をするケースが増えてくるのは必至だ。もっともっと外に出て頑張れる人材が育つ環境が大切になってくる。

今後の日本の教育がどうなるかは分からないが、少なくとも今のような体制では良いとは思えない。世界で通用するような人間を目指し、世界から欲される人材になるためにも日本の若者にはもっともっと頑張ってもらいたい、と心から願う。

Sunday 24 October 2010

学校教育

久しぶりのブログ更新。今日子供の学校からきていた手紙ーPTAから-を読んでいたら、クッキングのクラスのことが記されてあった。僕が小学校の頃、家庭科の授業のなかで(確か小学校の5年か6年だったと思うが)初めてのクッキングなるものがあった。目玉焼きを作る授業で、要は卵を割って、フライパンで焼き、その間に添え物も胡瓜か何かを千切りにして最終的には皆で食する、というものだった。あの頃は何も感じず、学校で給食以外に、それも自分が作ったものを食べられることが新鮮だった。というかそれ以外に、その学期中に何を作ったかも覚えていない。。。

ところが、今日の子供の学校からの手紙で、驚くことを発見。僕の長女は今、Y4〔イヤー4)つまり小学校4年生なのだが、4年生は歴史の勉強で今チューダー朝の勉強をしているということもあり、チューダー朝時代の食事を作るというものだった。そのメニューがチューダー朝の騎士達が食べたとされるデザートで、パン生地に色々な素材、クリームやレーズンや果物などを乗せそれを何度か繰り替えし、レイヤーを作って最終的にはオーブンで焼く、という極めて質素なものである。日本であれば、侍のそれも御徒士の食後のつまみ、、、なるものなのかな、、なんて考えながら、手紙を読み続ける。ちなみにY3はThe Great Fire of Londonーロンドン大火という1666年に起こった大火事ーがメニューの名前である。つまりロンドン大火について勉強中ということである。(余談だが、この大火は僕の記憶によればパン屋のかまどから出火したものがロンドン中に広まってあっという間に中世のロンドンは壊滅し、以降ほとんどの建築物が石造りのものとなったらしい。)要はパン作りをするのであろう。

このように、勉強している歴史の内容とクッキングクラスのメニューをインタラクティブに繋げることにより、子供達の頭の中に鮮明な記憶を植えつけることの出来るカリキュラムが素晴らしいと思った。イギリス人はディベート〔討論〕に優れている者が多いといった理由は、そういった、ちょっとしたものを学ぶ過程の中でのリサーチや、自分の考えといったものを発展させられる余裕があるからなのだろう、と妙に感心してしまった。

今度娘にチューダー朝の騎士のデザートを作ってもらう約束をした。あまり旨そうとは思わないが、娘が作れば、それもまた旨いものになる、と思っている。

Wednesday 13 October 2010

チリ鉱山落盤事故救出劇2

チリでの鉱山落盤事故のレスキューの様子が気になって、頻繁にBBCのサイトにある’LIVE’を見ている。既に28人のマイナーが救出されている。後、残り5人だ。救出されたマイナー達の喜びがモニターから伝わると同時に、サイトを見るたびに映し出される、’救出を待つ家族’のエモーショナルなしぐさで、はらはらしてしまうのは僕だけだろうか。。無事に再会し、涙を流す家族、殊に小さな子供が 'おとーさん' と再会する場面には、どうしても涙が出てしまう。。よく子供は親を選べない、というが、どんな職業の父親でも、母親でも子供にとっては最高の、そして一番大切な家族である。一生懸命炭鉱で働き、家族を養う彼ら33人全員が無事に地上に戻れるまでもうすぐだ。私も彼らのために祈りたい。がんばれ!

チリ鉱山落盤事故救出劇

今日は朝から、仕事の合間にチリの鉱山の落盤事故の救出劇をBBCのライブで見ている。69日もの間、地下700メートルという想像もつかない場所で、救出を待ちながら生活していた彼らにとって、また、それを待ち望んでいた家族にとって、この喜びは言葉では表せられないものであろう。ライブ中継での救出劇を見ていると、レスキューティームの人達のリアクションやTWITTERなどで世界各国から送られてくるメッセージ等に、人の命の大切さとそれを心配して見守ってきた人を囲む社会の素晴らしさが感じ取られる。救出されたマイナー(鉱夫)が自分の子供や家族と抱擁して涙を流すシーンに、僕自身、涙が頬をつたわっていくのを感じた。まだ7人目が救出されたばかりで、’本当によかった’ と過去形で表現するのはよくないかもしれないが、あと24時間もすると33人全員が救出される。全員が無事に救出されることを祈って、仕事に戻ろうと思う。人の命の尊さというものを改めて強く感じた一日の始まりだ。

Friday 8 October 2010

インターナショナル社会でのリーダー

昨日今日とニュースを見ていると、欧州ではハンガリーのアルミニウムの廃棄物の流出による欧州最悪の環境破壊問題、それから、南米のチリでの鉱山の落盤被害者の救出、中国政府のノーベル平和賞受賞に対する反発、日本と中国の尖閣諸島問題等、、きりがないくらいくらい、色々な問題がある。

今朝家族と話しをしていて思ったのだが、いかなるニュースにおいても、グローバルなメッセージを伝えるためにその国のリーダー達も国際社会に対して明確なメッセージを送っている。それも海外プレスに対してはリーダー自らが自らの言葉で、ちゃんと英語でメッセージを発信し、またプレスに対しての受け答えを行なっている。あのちっぽけなハンガリーのリーダーでさえ英語でしっかりと発言していた。しかし、なぜ日本のリーダーや首脳達は、そういったことが出来ないのか、これはものすごい問題である。インターナショナルな社会では考えられないことである。確かに日本の中で生活するのに、英語は必要ないかもしれない。しかし、今後ますますアメリカ、欧州、アジアといった国々とやりあわなくてはいけないようになる。政府の首脳やリーダー達には、どこに出ても恥ずかしくないようなメッセージを英語で明確に発言できるような人材でないと、周辺国からバカにされるのは必至である。せめて日本の首相になるべく人は、そういった能力と説得力に欠ける人は、なってはいけないのでないかと思う。確かに日本は敗戦国とは言え今までに植民地になった歴史もないので、相手方の言葉を使う必要はなかった、という歪んだ自慢話のような理屈はあるかもしれない。しかし、経済大国として君臨してきた国の要人とは思えないような、情けない行動や言動は見ていてはずかしい。この5年間で日本にはまともな首相はいないのではないか。ある首相のように東大を出ています、といったところで何も出来ない総理では困るのであり、彼が英語が出来ます、といいつつもこちらが恥ずかしくなるような英語ではどうしようもない。その上公約を守れないような状況になると辞任する。。リーダーとは何が出来るかであり、何を知っているかではない。尖閣諸島問題にしてもそうである。いったん逮捕した容疑者を相手側の圧力に負けて、いとも簡単に釈放する。そのうえ証拠のビデオも公開しないという。今の日本の政治家や政府そのものがどうしようもないのか。。。悲しいかぎりである。言うべきことははっきり言って、行動した上で協議を重ねるのであれば分かるが、何もない、ではあまりにも情けない。今の日本の政治は全てにおいて3流だと思う。そうこうしているうちに中国がアジアの覇者になっていくと思うと不安でもある。今回の尖閣諸島問題で日本は2度恥をさらしてしまった。このままでは。もはやインターナショナル社会では重要視されなくなる日もそう遠くないかもしれない。日本人として、行動力のない政治家は要らないし、頭でっかちの机上の空論だけを錦の御旗のように振り回すものも必要ない、と思う。考えれば考えるほど腹が立つので、この辺でやめておこう。

Thursday 7 October 2010

審美眼


今日オフィス宛に茶道をされている方から手紙が届いた。EーMAILのこの時代にいただく直筆のお手紙は、ある意味新鮮で非常に有難いものである。僕たちの世代は手描きからコンピューターに移行した世代で両方を使いこなせるハイブリッド世代である。アナログもデジタルもこなせる非常に器用かつ便利な世代ともいえる。


この手紙に2枚のポストカードが同封されていた。一つは国宝の曜変天目茶碗、もう一つは青花秋草文壷なるもので非常に素晴らしいものである。実物を見たことはないが、こういったものは昔からの審美眼に優れた人たちによって守られてきたのであろう。いつか拝見したいものだ。改めて日本文化とその作者、探り当てた目利きの方に感謝である。こういったものは時にして作者不明な場合も多いらしく、どちらかというとそれを見出し、実際にお茶などの文化の中で使った方々の功績も大きいのだろう。


僕は毎日がデザインと言う仕事柄、アナログとデジタル、つまり前述のハイブリッド手法で製品をクリエイトしている。クリエイトと言うのは、’作る’ のではなく ’創る’のである。’作る’もしくは '造る’はお隣の国に任せて、これからの私たちは '創る' なければ生き残れない時代に来ている。そういった時代に生きていても、陶芸家の作品などを見ていると、心が休まる思いがするし感動もひとしおだ。昔の僕には考えられなかったことである。僕の畏友、白洲信哉も現代の目利きで彼から学ぶものも多い。いつだっかた、大琳派展というものが上野の国立博物館であり、そのときも展覧会の後に彼と落合い、行き着けのバーで飲みながら語り合ったことがある。日本文化をプロデュースする彼らしい発言もあり、非常に楽しいひと時でもある。

何年か前に、陶芸家の細川護光君から、いただいた茶器があるのだが、これも僕のお気に入りで大好きなラフロイグを飲むのにも重宝している。護光君の審美眼も彼自身の家系から来る血もあるが故に極端な例ではあるが、いいものをたくさん見て育つと言うのは何よりもいいことだと思う。机に座って勉強ばかりではなく、また、テレビにかじりついてゲームばかりでもなく、そういった真のアナログである審美眼、と言うものを少しでも育てられるような社会、環境を大人の僕達が創り、またそうなってほしいとも思う。そういえば周りを見渡すと結構なアナログ物がたくさんあることに最近気付いた。

Monday 4 October 2010

芸術の秋

久しぶりのブログだ。先週、今週と海外からのビジネスの来客や打ち合わせ、はたまたデザインショーがあったりと目の回る様な忙しい日の連続だった。
ロンドンもこのところもう秋深し、、、と言う雰囲気で、毎朝出勤前に車のフロントガラスに落ちている落ち葉をとる作業から始まり、もうそろそろ夏時間も終わるんだなあ、、と改めて一年の経つ早さに驚くばかりだ。

10日ほど前にロンドンで毎年行なわれる恒例の100%デザインと言うイベントにいったのだが、世の中景気がまだまだ回復してないせいか、出展している企業も年々少なくなっているように思えた。会場の規模も随分小さくなったとは聞いていたが、これほどとは思わなかった。昔に比べ、がっかりするような出展作品も多く、クリエイティブ業界に危機を感じてしまったのは私だけだろうか。。来場者に限らず、出展ブースにも韓国ブースや、中国ブースものもあり、新興国の経済力の強さを垣間見る反面、こいつ一体何しに来たのだろうか、、と言うようなある新興国の来場者もいた。昔、といっても10年以上前、スイスのバーゼルで行なわれる時計のショーにも頻繁に行っていた時のスイスの時計業界の連中が愚痴っていたことを思いだしたのもそのときだ。何でもショーで発表される新製品をカメラでバンバン撮って、その2,3ヵ月後には偽者の時計が世の中に出回っていると言う。製造元、メーカーを探し出してもその会社自体が存在せずに大変だと頭を抱えていた。同じようなことが今でも起こっているようだ。もともとアイデアとか知価といったものに対しての考えすらないような連中も多いと聞くし、そのような国に大国になってもらっては困ると思う。
ショー自体も覇気がなくインパクトにかけていたとはいえ、日本から出展されて頑張っている方たちもいた。私の中で一押しは、熊本の小国と言う阿蘇の小さな町から出展されていた60くらいのご夫婦の家具である。非常に造りもよく、ゲルマン系の連中がしきりに質問をしていたようだ。特にシングルチェアーが見事で、物をあまり欲しがらない私も家におきたい、と思ったほどである。残念ながら今のインテリアとはちょっと雰囲気が違うので、今回は見送ったがそのうちに是非購入したいものである。次回熊本に帰ったら一度工房を訪ねてみようか、と思っている。日本もこういった機会にジャパンブースなるものをだして、もっともっと日本の製品のよさ、工芸の美しさをアピールするくらいの心意気がないとだめだ。そういったものをデザイン振興会ももっと後押しするべきである。そうでないといつまでたっても、孤立したものになってしまう。

この2週間は、忙しい中、色々考えさせられる日々の連続であった。