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Thursday 23 December 2010

旅立ち

今日、知人の子供さんがNYのコロンビア大学に合格したという知らせを聞く。優秀な大学だ。まずはおめでとう、といいたい。子供は幼い頃からお手伝いをしたり、色々な意味で親のサポートをしたりと、そうやって成長していく。高校生までは同じ家で生活をし、大学になって巣立っていく場合も多い。子供が家を出たら、あとは大学を出て、社会人になって本当の意味での大人になっていく。この知人は、子供が大学に行くために家を離れていくことを想像しただけでも涙が出る、と言っていた。
同じ国にいるのだし、大丈夫ですよ。。なんて何の答えにもなってないが子供を持つ親としては、その気持ちは欲理解できるものであり考えさせられた瞬間だった。

色々な人に遭って、机の上だけでは学べないことも色々勉強するでしょうし、頑張って自分の信じる道を進んでもらいたいものです。僕も子供を持つ親としてロンドンからエールを送ります!

Tuesday 21 December 2010

Snowman




このところ、欧州は大寒波の影響でかなりの雪が降った。ロンドンも例外ではなく、昨日の朝起きてみるとあたり一面銀世界。朝からある資料を送りに郵便局に行き、その足でオフィスに向かう予定だった。家の近くの郵便局までは歩いて5分だが、雪と凍りついた歩道をそろりそろり歩く姿はハタから見てきっと滑稽なものなんだろうが、周りの人たちも皆同じことを考えているようで、同じような歩き方をしているのがおかしかった。そうやっているうちに郵便局へ着く。中はクリスマスプレゼントを家族に送ろうとする人たちでごった返している。。30分ほどで何とか書類を送り、その足でオフィスに行こうかと思ったのだが、せっかくの雪だし、子供も学校はもう冬休みに入っているし、’よーし今日は午前中は子供達と雪だるまを作って遊ぼう’とまた来た道をそろりそろりと引き返す。家の前にある、コミュニアルガーデンで娘2人と一緒に雪だるまをの製作に取り掛かる。大喜びの子供達。しかしどんな雪だるまが良いのか。。。3人で考えた結果子供達の大好きな'The Snowman'というRaymond Briggsという作家が描いた絵本の雪だるまに挑戦することにする。。。




この’TheSnowman’は70年代後半の絵本でイギリスでは今までずっと子供達の一番のお気に入りといわれたクリスマスの物語である。このストーリーの中で、ある少年が雪のある日、庭でSnowmanを作るのだが、少年のベッドタイムの時に庭のSnowmanが生を受け、家族を起こさないように少年と一緒に庭で遊んだり、しまいには少年を連れて空を飛び色々な景色を空から眺め、そしてSnowmanのパーティーに行き、サンタに会うのである。勿論最終的には家に戻ってくるのだが、帰宅後その少年は家の人に気付かれないように自分のベッドに戻るである。そして迎えた次の朝、さんさんと輝く朝日の中でそのSnowmanは溶けてなくなっているのである。ただ、これはこの少年の夢物語であったのか、、と思うだろうが、実は少年はサンタからもらったスカーフをまだ持っていることに気付くのである。




子供が持つクリスマスの夢を非常によく表現した絵本である。この30年の間、この絵本に感化された子供達は相当な数だろう。うちの子供も例外ではなく、その夢は脈脈を受け継がれているのである。。。




。。。そうこうしているうちに僕たち3人の作った等身大Snowmanも出来上がった。このSnowmanに子供達は夢を託すのだろう。




今日の朝庭を見てみたら、僕達の作ったSnowmanのいたところには、帽子にしていたバケツと鼻の代わりの人参が溶けた雪の中に残っていた。子供達も夢の中でSnowmanと一緒に空をとんだのかな。

Tuesday 14 December 2010

Technology

今日、ふとしたことからアメリカでの大学時代に一緒に勉強していたシリア人の同級生からメールが来た。大学時代はよく一緒に遊び勉強した仲だ。時代の流れというのか、卒業後音信不通だったのが、彼の方がふとしたことから僕のメールアドレスを探し出して会社宛のメールでコンタクトをとって来た。思わず懐かしさと嬉しさで飛び上がってしまい、速攻で返信メールを送ったのだが、彼の方もすぐに返信メールをくれた。’スカイプをONにしているから ’という短くも的確なメールですぐにスカイプでコンタクトをとる。ビデオチャットという僕達が大学生の頃は考えられなかったようなコミュニケーション方法だ。懐かしい彼の顔がモニターに写る。相変わらず低く渋いバリトンの声だ。嬉しいことに容姿はあまり変わっていない。今はシリアの首都ダマスカスでビジネスコンサルタントの会社を経営している大物だ。学生時代のことも含め色々な話しをした。家族で是非ダマスカスに遊びに来い。と誘ってくれたが独身ならまだしもチビがいる僕にはまだその勇気はない。余談だが随分昔-15年ほど前だがトルコのイスタンブールからからイラクの国境までバスで行ったことがあるのだが、子供はいなかった上、今はご時勢がご時勢だけに考えさせられるものもある。彼もヨーロッパの出張は多いという。近いうちに会えることを楽しみにしておこう。

世界には色々な職種で頑張っている同級生がいる。彼との話しの中で、あの当時の同級生達でreunionー同窓会ーをやろうか、という話しをした。色々な国の連中が一同に会して集まれたらさぞかし楽しいものになるであろう。真の意味での平和とはこういうことをいうのだろう。

スカイプを切った後に、これもITというテクノロジーのお陰だ、としみじみと感慨にふける自分がそこにはいた。

Tuesday 30 November 2010

12月


今日オフィスの前の通りをあるいていたら旧式のダブルデッカーバスが停まってているのを見つけた。このタイプは年々減っている上なかなか見ることの出来ないタイプである。ひさしぶりの友達に逢うようでなんだか嬉しかった。


そうこうしているうちに12月になった。思えばこの一年めちゃくちゃ早かった。〔まだ終わってないけど)歳をとるごとに感じるこの加速度、恐ろしいものがある。。ロンドンはここ2,3日、雪に見舞われている。今日も外は雪が降っている。気温も最高で2度だと天気予報が言っていた。


とはいえクリスマスの季節にはぴったりの空気だ!我が家もクリスマスツリーの飾りつけも終わり、子供達もいつになく嬉しそうだ。自分が子供の頃やはりどことなく、うきうきして嬉しかった思い出がある。僕が子供の頃は、毎年父が庭にあるもみの木を掘り起こして馬鹿でかい鉢〔というのかな?)に植え替えて家の中に持ち込んでいた。僕が覚えている限り生まれてからずっとそうだったし、僕の姉、兄も小さなときから覚えているらしいので、相当昔からやってたんだと思う。記憶にある中では12歳の時のクリスマスが、そのもみの木を家の中に入れる最後だったと思う。年々でかくなりすぎて家の中に入らない大きさに成長した為だ。その後は庭に植えたまま、どんどん成長していった。〔余談だがこの木は僕が高校生くらいになると夜中にこっそり家を抜け出すときに僕の部屋から階下に降りる’はしご’の役目をしてくれた。ベランダからその木に飛び移って庭に降り塀を乗り越え、バイクのエンジンが聞こえないようにバイクを押してあとでエンジンをかけるのである。。。)


またクリスマスの時期といえば、音楽である。物心ついたときからBing CrosbyのWhite Chrismasのアルバムが毎日かかっていた。今でも空で歌が歌えるほど聴いたとおもう。あの音楽と冷たい空気、そしてZIPPOのライターと同じ匂いのするストーブのコンビネーションが僕を夢の世界へと連れて行ってくれた。きっとませた’がき’だったんだろうなあ。。今でもこの時期になるとBing Crosbyを必ず聴くのだが、8歳と4歳の子供達も大好きなようで最近毎日家の中にはBingの声が流れている。場所や、時を越えてもいい音楽とその雰囲気は自分の原点を思い起こさせてくれる。嬉しいことである。


Friday 26 November 2010

France







久しぶりのブログ更新だ。つい先日フランスに仕事で行った。久しぶりのリヨンと、初めてのSt. Etienne〔サンティチエンヌ)である。リヨンは友人もいるし、昔よく行っていた街の一つで、ユネスコの世界文化遺産の街である。人も食事もパリともマルセイユとも違う雰囲気で僕はパリとは違った意味で結構気に入っている。

サンティチェンヌは炭鉱の町から発展した市であり、街も小ぶりでところどころに昔の工業都市的な面影が見受けられる。近年は、市をあげてデザインビエンナーレ〔2年おきの展覧会)を行い、年々出品者も増え、日本企業を含む海外の企業も出品したりしている。街をあげてのお祭り的な要素もあるだろうが、地元の関係者との話しなどでは真剣にデザインやアートなどの振興に力をいれている意気込みが感じられた。僕が滞在していたその週明けにはもう既に初雪が降ったとのことで結構な寒さだったが、街中のスクエアには簡易型の観覧車やメリーゴーラウンドが設置されていた。クリスマスに向けての準備なのだろう。ただ、いつも街中にいる時間は結構夜遅く、結局それらが動いているのを見ることはなかったけど。。ごった返すスクエアの中で観覧車やメリーゴーラウンドとかがきらびやかに動き、その周りのマーケットには人々が所狭しと買い物で歩き回る。。こんな雰囲気がフランスのクリスマス前の雰囲気だ。なんともいえない、冷たい空気の香りがまたいい。

クライアントと一緒にパーティーにも招待していただき、非常に楽しい思いをさせてもらった。パーティーのあと、ホテルに戻ってからまたバーで一杯、、と思いきやバーは元気な〔騒々しい〕若者であふれていた。何でも彼らはプロのフットボール〔サッカー)の選手で勝ち試合から帰ってきたばかりだという。体格も体力も半端ではない彼らも結構飲んでいたうえに、バー自体を占拠していたために、彼らの注がれるまま飲み物を奢ってもらった。別にたかりに来たわけではなく、バーで飲みたかっただけの僕にとっては思いがけない喜びでもあった。

サンティチエンヌのあとはリヨンに移動した。リヨンで友人で、ルノートラックのデザインのトップ、ハーべ ベルトンと一緒に食事をし、そのあとまたのみに出かけた。リヨンでは彼のお陰もあり、夜遅くまで非常に充実した時間が過ごせた。もう1,2泊出来たらなあ、と思ったがロンドンでもやること多く、彼とは 'See you in London!' といって分かれたのである。

今はただ、ルーティーンに戻ってやるべきことをこなしている状態だが、こういった文化のある街に行く事はデザインとしてだけではなく、人間としてもリラックスできていいものである。



Monday 8 November 2010

言語

今日うちのオフィスのメンテナンスをやってくれている人たちと立ち話をした。一人はイラン人、もう一人はポーランド人である。
彼らは実に流暢な英語で話をする。ポーランド人の若者は僕が5年位前にに会ったときは英語がからっきしダメでおぼつかないような感じであったが、今日久しぶりにあったら驚くような変貌振りである。ただ、もっと驚くことに、実は英語以外の言語を2,3、話すことが出来ることである。確かに東ヨーロッパの連中は仕事の多いロンドンにやってくるケースが多い。ここ数年で何十万人というポーランド人が出稼ぎに来ているとも聞く。ただ、彼らはある程度の学歴と仕事の経験を持っており、仕事そのものもかなり丁寧で、安心していられるのも事実だ。そういった技術を生かすために西側に出てきて仕事をすることが目的であって、言語は道具、つまりツールでしかない。一時期の日本人が海外留学で言語を学ぶためだけに来ていた時期があったが、それは大きく間違っていたと言えよう。言葉は目的ではなく、それを使って何が出来るか、が本等の意味でのインターナショナリズムであり、実際ボーダーの近い欧州の国々ではそれが歴史的も頻繁に行なわれていたようだ。英語が出来ると、すごい、と思う日本人もまだいるかもしれない。しかし、英語はコミュニケーションのツールであるということを念頭において中身のある発言が出来てこそ、言葉としての意味を成す。中身はないが英語の発音は旨い、というのでは話にならないし、かえって、周りから馬鹿にされるのは必至である。勿論ネイティブのように流暢に話しをして、かつ話の内容が伴っていないとある程度以上に仕事は出来ないし、尊敬もされない、とみたほうがいい。こちらの地元の新聞を読んで、語彙を増やし、かつラジオなどを聴き、言い回しを勉強して、かつ専門分野を伸ばす。これが今の日本人にとって今後の重要な課題だと思う。勿論英語である必要はない。スペイン語でも、中国語でも、イタリア語でも何でもいい、日本の若者も見聞を広げ、自分の可能性をもっともっと探って、あたって砕けるつもりで頑張って欲しいものだ。

余談だが、今の日本の外交を見ているとまさにそれを強く感じる。へたくそでも良いから国際語としての英語で中身のある発言を対外的に言える人材を待ち望んでいる。今の日本政府はどうなってるのかね。まったく。。。

Sunday 7 November 2010

natural history museum



そういえば、昨日子供達をつれて散歩がてら歩いて'Natural History Museum'恒例の屋外スケートリンクに行った。 http://www.nhm.ac.uk/visit-us/whats-on/ice-rink/index.html

11月5日から1月9日まで期間限定でのオープンなのだが、これが素晴らしく美しい。周りの景色も、音楽も、その雰囲気も、そして何より夕方の冷たい空気がよりいい感じを醸し出しているし、周りには簡易設置のメリーゴーラウンドまでもあり、童話に世界にいるようだ。NYにもロックフェラーセンターにスケートリンクがあり、僕もそこで何度かスケートをしたことがあるが、あれにも負けない美しさだと思う。お陰で今日は足が痛くて閉口した。日本もどこかの歴史的な建物の近くにこういった雰囲気のいいものを毎年冬場の行事のように作るようなシステムがあれば、いいかもしれないと思った。スケートをするしないに関わらず、気持ちの安らぐ場、として活用することが出来るのは非常にメリットのあることだと思う。






冬到来

冬時間が始まり、11月になり、2週目になろうとしている。


英国では5日にGUY FAWKES NIGHT ー(参照:http://en.wikipedia.org/wiki/Guy_Fawkes_Night)というイベントが各地で行なわれ、いたるところで、花火が打ち上げられ、大人から子供までもが盛り上がる。まあ要はお祭りと言うことだが、これはもともと実在したガイ フォークスという人物が謀反物として処刑されたことに由来するのであるが、これもその当時の法律や宗教観念の違いによる社会が下した判断で、善し悪しは不明だと僕は思っている。

ただ、現在に至ってはお祭りーイベントの一つとして認識されているようだ。

こういったお祭り騒ぎが終わると、冬が加速してやってくる。クリスマスに向けての飾りつけなどで通りも賑やかになってくるということもあり、殊に欧州ではいい雰囲気を感じることの出来る季節ではないだろうか。当然仕事も12月になると忙しくなるのではあるが、(師走といわれる日本と同じ)クリスマス前にはパーティーの参加の機会も多いために、仕事がどんなに忙しくても不思議と人々の顔は普通よりかはにこやかに思える。この時期は皆パーティーの準備をするために、12月頭までは街中のブティックには華麗なドレスが所狭し、とディスプレーされ、(特に女性は毎年ドレスを買い換えている人がほとんどのようで)お洒落に気を使う女性達の購買欲をそそるようだ。まあ、そういったお店も稼ぎ時の季節なのだろう。(ちなみに男性のディナージャケット(タキシード)はいつも変わらないので大助かりでもあるー勿論太らないことが条件だが。。。)そしてある程度アルコールで疲れた頃、丁度クリスマスの日になる、という按配だ。クリスマスそのものは家族のものであり、イブの日は教会のミサに夜中に出かけ、当日は家庭で各々過ごす。そのために街中も静かなものである。ちなみに当日は各家庭で七面鳥を丸ごと焼き、グレイビーと一緒に食べ、デザートにクリスマスプディング、というのがこちらの家庭でのクリスマスの過ごし方だ。そして、そうこうしているうちに新年を迎える、という流れになる。僕たちも12月にはいったら、七面鳥をオーダーするようにしているが、この料理も大変なだけにキッチンでのバトルもまた楽し、である。

そういえば、ちょうど2年前のクリスマスイブの日に仕事で東京にいたことがあり、新宿の駅で友人と待ち合わせをしていると、ちょっと一杯引っ掛けた感じのサラリーマンの方々がケーキを買って足早に家路につく姿が見受けられた。’クリスマス=ケーキ’という日本での単純な構図、つまり宗教上の意味がほとんどない日本らしい情景ではあったが、それはそれで、家で待っている子供や奥さん達のために、また彼らの喜ぶ顔を見たいという気持ちがあってこそのケーキなんだろうなあ、、と思った事がある。子供にもは夢を与えられるし、理由はどうあれ素晴らしいことだ。と思う。


Monday 1 November 2010

ハロウィンの子供達

ハロウィンの日。8歳の上の子は骸骨に扮し、4歳の下の子はパンプキンになった。夕方5時にもなるとストリートのあちこちに親子で仮装している人たちを多数発見。僕が仮装するともっと怖くなるのでやめとくからね、と全然言い訳になっていない、、、と自分でも思いながらも子供達が納得している姿が妙に自分自身を複雑な気分にさせる。。。そうこうしているうちに子供達も準備万端。僕も付き添いとしてTRICK or TREATに。

ケンジントンは裕福な家が多いため、とんでもないお金持ちがとんでもない家に住んでいるのも珍しくない。そういったところはハロウィンのためにものすごい飾り付けをしている家も多い。昨今の景気のせいか皆がそうしているわけではないが、通常家の門の前にカボチャのライトアップや骸骨などが飾ってあるところは、子供達のTRICK or TREATを受け入れているところだ。家によってはそこの家主がお化けに扮して子供達を待っている気さくなところもあれば、逆にお手伝いさんに全部をやらせている心のこもっていないところもある。気さくなところでは、子供達は待ち受けている知らないお化けとの出会いとそのやり取りの末もらうTREAT(つまりお菓子をもらう行為)とあげる行為とのやりとりを楽しみにしているのである。いわばお祭りのようなものだ。小さな子供からティーンエイジャーまで様々な’こども’がいるが、皆一様に楽しんでいる平和な風景がそこには存在する。ふと僕が小さなときにお寺の境内から繋がる沿道でやっていた人の波でごったがえす露天の夜店を思い出した。この辺りは親の仕事の都合上様々な国籍の子供達がいる。自分の子供も、勿論そうだが、お菓子をもらって嬉しそうに微笑んでいる子供達を見ているとどこの国の子供達も純粋で本当にかわいいなあ、と思ってしまう’おじさん’になった自分がそこにはいた。

Wednesday 27 October 2010

次世代の教育

数日前のBBCのサイトでオックスフォード大学の試験ーインタビュー〔面接)のことが書かれてあった。思わずすごいと思ったのと同時に面白い、と思ったので、をなれないTWITTERで脳科学者の茂木さんにそのURL送った。

何がすごいのかって、、その場で予期せぬ質問があることだ。

例えば:

1.英文学の学生に対する質問:なぜイングリッシュの学生は、この50年もの間’コロネーションストリート’〔イギリスのドラマで日本でいう庶民ドラマ〕に興味を持っていると思いますか?説明しなさい。

2.音楽専攻の学生に対して:もしあなたが新しい楽器を発明するとしたら、それはどのような音をだすのか?説明しなさい。

3.生物学の学生に対して:ここにサボテンがあります。これについて説明しなさい。

4.神学〔宗教理論〕の学生に対して:エクストリームスポーツや、極限に挑む様なアクティビティーといった、命を掛けるようなことをする人たちはヒーローか?それともバカか?説明しなさい。

5.心理学の学生に対して:人間にとって’ノーマル’とは何か?説明しなさい

6.生態医学の学生に対して:なぜ猫の目は暗闇で光るのか?説明しなさい。

これらの例は、ジョークでもなんでもなく、本当にあった出題で、いかに理論的に自分の考えやアイデアを表現できるか、ということだ。これを見て、思わず唸ってしまった。というのも超名門といわれ、ノーベル賞受賞者もケンブリッジ大学の80数名についで50人近く輩出しているオックスフォード大学と、かたや日本の大学受験での入学システムの違いがあまりにもありすぎるからだ。日本の場合、暗記、公式、傾向と対策といったいわば詰め込み型の教育であり、思想的には自由度に欠ける。もちろん今までの日本の社会構成には非常にうまく機能していたと思う。というのも一度会社に入ればそこで教育をされなおし、うまく機能しながら出世していく。ただ、ここで僕が疑問に思うのは、このような従来の方式では、ある特定の才能に秀でている人間には向かない、ということだ。僕はなにもオックスフォード大学のまねをしろ、といっているのではなく新しい思想やアイデアを育めるような環境、それを取り巻く人たちが、今後、そういった人材が必要になるであろう時代を見越して、フレキシブルな教育体制を取れないものだろうか、ということだ。

日本の最近の若者は海外に行きたがらない人が多いと聞く。非常に嘆かわしい事であり、また問題でもある。政治家にしろ、医者にしろ、スポーツ選手にしろ今後の社会にはもっと広い思想をもって、色々な国の人たちと仕事をするケースが増えてくるのは必至だ。もっともっと外に出て頑張れる人材が育つ環境が大切になってくる。

今後の日本の教育がどうなるかは分からないが、少なくとも今のような体制では良いとは思えない。世界で通用するような人間を目指し、世界から欲される人材になるためにも日本の若者にはもっともっと頑張ってもらいたい、と心から願う。

Sunday 24 October 2010

学校教育

久しぶりのブログ更新。今日子供の学校からきていた手紙ーPTAから-を読んでいたら、クッキングのクラスのことが記されてあった。僕が小学校の頃、家庭科の授業のなかで(確か小学校の5年か6年だったと思うが)初めてのクッキングなるものがあった。目玉焼きを作る授業で、要は卵を割って、フライパンで焼き、その間に添え物も胡瓜か何かを千切りにして最終的には皆で食する、というものだった。あの頃は何も感じず、学校で給食以外に、それも自分が作ったものを食べられることが新鮮だった。というかそれ以外に、その学期中に何を作ったかも覚えていない。。。

ところが、今日の子供の学校からの手紙で、驚くことを発見。僕の長女は今、Y4〔イヤー4)つまり小学校4年生なのだが、4年生は歴史の勉強で今チューダー朝の勉強をしているということもあり、チューダー朝時代の食事を作るというものだった。そのメニューがチューダー朝の騎士達が食べたとされるデザートで、パン生地に色々な素材、クリームやレーズンや果物などを乗せそれを何度か繰り替えし、レイヤーを作って最終的にはオーブンで焼く、という極めて質素なものである。日本であれば、侍のそれも御徒士の食後のつまみ、、、なるものなのかな、、なんて考えながら、手紙を読み続ける。ちなみにY3はThe Great Fire of Londonーロンドン大火という1666年に起こった大火事ーがメニューの名前である。つまりロンドン大火について勉強中ということである。(余談だが、この大火は僕の記憶によればパン屋のかまどから出火したものがロンドン中に広まってあっという間に中世のロンドンは壊滅し、以降ほとんどの建築物が石造りのものとなったらしい。)要はパン作りをするのであろう。

このように、勉強している歴史の内容とクッキングクラスのメニューをインタラクティブに繋げることにより、子供達の頭の中に鮮明な記憶を植えつけることの出来るカリキュラムが素晴らしいと思った。イギリス人はディベート〔討論〕に優れている者が多いといった理由は、そういった、ちょっとしたものを学ぶ過程の中でのリサーチや、自分の考えといったものを発展させられる余裕があるからなのだろう、と妙に感心してしまった。

今度娘にチューダー朝の騎士のデザートを作ってもらう約束をした。あまり旨そうとは思わないが、娘が作れば、それもまた旨いものになる、と思っている。

Wednesday 13 October 2010

チリ鉱山落盤事故救出劇2

チリでの鉱山落盤事故のレスキューの様子が気になって、頻繁にBBCのサイトにある’LIVE’を見ている。既に28人のマイナーが救出されている。後、残り5人だ。救出されたマイナー達の喜びがモニターから伝わると同時に、サイトを見るたびに映し出される、’救出を待つ家族’のエモーショナルなしぐさで、はらはらしてしまうのは僕だけだろうか。。無事に再会し、涙を流す家族、殊に小さな子供が 'おとーさん' と再会する場面には、どうしても涙が出てしまう。。よく子供は親を選べない、というが、どんな職業の父親でも、母親でも子供にとっては最高の、そして一番大切な家族である。一生懸命炭鉱で働き、家族を養う彼ら33人全員が無事に地上に戻れるまでもうすぐだ。私も彼らのために祈りたい。がんばれ!

チリ鉱山落盤事故救出劇

今日は朝から、仕事の合間にチリの鉱山の落盤事故の救出劇をBBCのライブで見ている。69日もの間、地下700メートルという想像もつかない場所で、救出を待ちながら生活していた彼らにとって、また、それを待ち望んでいた家族にとって、この喜びは言葉では表せられないものであろう。ライブ中継での救出劇を見ていると、レスキューティームの人達のリアクションやTWITTERなどで世界各国から送られてくるメッセージ等に、人の命の大切さとそれを心配して見守ってきた人を囲む社会の素晴らしさが感じ取られる。救出されたマイナー(鉱夫)が自分の子供や家族と抱擁して涙を流すシーンに、僕自身、涙が頬をつたわっていくのを感じた。まだ7人目が救出されたばかりで、’本当によかった’ と過去形で表現するのはよくないかもしれないが、あと24時間もすると33人全員が救出される。全員が無事に救出されることを祈って、仕事に戻ろうと思う。人の命の尊さというものを改めて強く感じた一日の始まりだ。

Friday 8 October 2010

インターナショナル社会でのリーダー

昨日今日とニュースを見ていると、欧州ではハンガリーのアルミニウムの廃棄物の流出による欧州最悪の環境破壊問題、それから、南米のチリでの鉱山の落盤被害者の救出、中国政府のノーベル平和賞受賞に対する反発、日本と中国の尖閣諸島問題等、、きりがないくらいくらい、色々な問題がある。

今朝家族と話しをしていて思ったのだが、いかなるニュースにおいても、グローバルなメッセージを伝えるためにその国のリーダー達も国際社会に対して明確なメッセージを送っている。それも海外プレスに対してはリーダー自らが自らの言葉で、ちゃんと英語でメッセージを発信し、またプレスに対しての受け答えを行なっている。あのちっぽけなハンガリーのリーダーでさえ英語でしっかりと発言していた。しかし、なぜ日本のリーダーや首脳達は、そういったことが出来ないのか、これはものすごい問題である。インターナショナルな社会では考えられないことである。確かに日本の中で生活するのに、英語は必要ないかもしれない。しかし、今後ますますアメリカ、欧州、アジアといった国々とやりあわなくてはいけないようになる。政府の首脳やリーダー達には、どこに出ても恥ずかしくないようなメッセージを英語で明確に発言できるような人材でないと、周辺国からバカにされるのは必至である。せめて日本の首相になるべく人は、そういった能力と説得力に欠ける人は、なってはいけないのでないかと思う。確かに日本は敗戦国とは言え今までに植民地になった歴史もないので、相手方の言葉を使う必要はなかった、という歪んだ自慢話のような理屈はあるかもしれない。しかし、経済大国として君臨してきた国の要人とは思えないような、情けない行動や言動は見ていてはずかしい。この5年間で日本にはまともな首相はいないのではないか。ある首相のように東大を出ています、といったところで何も出来ない総理では困るのであり、彼が英語が出来ます、といいつつもこちらが恥ずかしくなるような英語ではどうしようもない。その上公約を守れないような状況になると辞任する。。リーダーとは何が出来るかであり、何を知っているかではない。尖閣諸島問題にしてもそうである。いったん逮捕した容疑者を相手側の圧力に負けて、いとも簡単に釈放する。そのうえ証拠のビデオも公開しないという。今の日本の政治家や政府そのものがどうしようもないのか。。。悲しいかぎりである。言うべきことははっきり言って、行動した上で協議を重ねるのであれば分かるが、何もない、ではあまりにも情けない。今の日本の政治は全てにおいて3流だと思う。そうこうしているうちに中国がアジアの覇者になっていくと思うと不安でもある。今回の尖閣諸島問題で日本は2度恥をさらしてしまった。このままでは。もはやインターナショナル社会では重要視されなくなる日もそう遠くないかもしれない。日本人として、行動力のない政治家は要らないし、頭でっかちの机上の空論だけを錦の御旗のように振り回すものも必要ない、と思う。考えれば考えるほど腹が立つので、この辺でやめておこう。

Thursday 7 October 2010

審美眼


今日オフィス宛に茶道をされている方から手紙が届いた。EーMAILのこの時代にいただく直筆のお手紙は、ある意味新鮮で非常に有難いものである。僕たちの世代は手描きからコンピューターに移行した世代で両方を使いこなせるハイブリッド世代である。アナログもデジタルもこなせる非常に器用かつ便利な世代ともいえる。


この手紙に2枚のポストカードが同封されていた。一つは国宝の曜変天目茶碗、もう一つは青花秋草文壷なるもので非常に素晴らしいものである。実物を見たことはないが、こういったものは昔からの審美眼に優れた人たちによって守られてきたのであろう。いつか拝見したいものだ。改めて日本文化とその作者、探り当てた目利きの方に感謝である。こういったものは時にして作者不明な場合も多いらしく、どちらかというとそれを見出し、実際にお茶などの文化の中で使った方々の功績も大きいのだろう。


僕は毎日がデザインと言う仕事柄、アナログとデジタル、つまり前述のハイブリッド手法で製品をクリエイトしている。クリエイトと言うのは、’作る’ のではなく ’創る’のである。’作る’もしくは '造る’はお隣の国に任せて、これからの私たちは '創る' なければ生き残れない時代に来ている。そういった時代に生きていても、陶芸家の作品などを見ていると、心が休まる思いがするし感動もひとしおだ。昔の僕には考えられなかったことである。僕の畏友、白洲信哉も現代の目利きで彼から学ぶものも多い。いつだっかた、大琳派展というものが上野の国立博物館であり、そのときも展覧会の後に彼と落合い、行き着けのバーで飲みながら語り合ったことがある。日本文化をプロデュースする彼らしい発言もあり、非常に楽しいひと時でもある。

何年か前に、陶芸家の細川護光君から、いただいた茶器があるのだが、これも僕のお気に入りで大好きなラフロイグを飲むのにも重宝している。護光君の審美眼も彼自身の家系から来る血もあるが故に極端な例ではあるが、いいものをたくさん見て育つと言うのは何よりもいいことだと思う。机に座って勉強ばかりではなく、また、テレビにかじりついてゲームばかりでもなく、そういった真のアナログである審美眼、と言うものを少しでも育てられるような社会、環境を大人の僕達が創り、またそうなってほしいとも思う。そういえば周りを見渡すと結構なアナログ物がたくさんあることに最近気付いた。

Monday 4 October 2010

芸術の秋

久しぶりのブログだ。先週、今週と海外からのビジネスの来客や打ち合わせ、はたまたデザインショーがあったりと目の回る様な忙しい日の連続だった。
ロンドンもこのところもう秋深し、、、と言う雰囲気で、毎朝出勤前に車のフロントガラスに落ちている落ち葉をとる作業から始まり、もうそろそろ夏時間も終わるんだなあ、、と改めて一年の経つ早さに驚くばかりだ。

10日ほど前にロンドンで毎年行なわれる恒例の100%デザインと言うイベントにいったのだが、世の中景気がまだまだ回復してないせいか、出展している企業も年々少なくなっているように思えた。会場の規模も随分小さくなったとは聞いていたが、これほどとは思わなかった。昔に比べ、がっかりするような出展作品も多く、クリエイティブ業界に危機を感じてしまったのは私だけだろうか。。来場者に限らず、出展ブースにも韓国ブースや、中国ブースものもあり、新興国の経済力の強さを垣間見る反面、こいつ一体何しに来たのだろうか、、と言うようなある新興国の来場者もいた。昔、といっても10年以上前、スイスのバーゼルで行なわれる時計のショーにも頻繁に行っていた時のスイスの時計業界の連中が愚痴っていたことを思いだしたのもそのときだ。何でもショーで発表される新製品をカメラでバンバン撮って、その2,3ヵ月後には偽者の時計が世の中に出回っていると言う。製造元、メーカーを探し出してもその会社自体が存在せずに大変だと頭を抱えていた。同じようなことが今でも起こっているようだ。もともとアイデアとか知価といったものに対しての考えすらないような連中も多いと聞くし、そのような国に大国になってもらっては困ると思う。
ショー自体も覇気がなくインパクトにかけていたとはいえ、日本から出展されて頑張っている方たちもいた。私の中で一押しは、熊本の小国と言う阿蘇の小さな町から出展されていた60くらいのご夫婦の家具である。非常に造りもよく、ゲルマン系の連中がしきりに質問をしていたようだ。特にシングルチェアーが見事で、物をあまり欲しがらない私も家におきたい、と思ったほどである。残念ながら今のインテリアとはちょっと雰囲気が違うので、今回は見送ったがそのうちに是非購入したいものである。次回熊本に帰ったら一度工房を訪ねてみようか、と思っている。日本もこういった機会にジャパンブースなるものをだして、もっともっと日本の製品のよさ、工芸の美しさをアピールするくらいの心意気がないとだめだ。そういったものをデザイン振興会ももっと後押しするべきである。そうでないといつまでたっても、孤立したものになってしまう。

この2週間は、忙しい中、色々考えさせられる日々の連続であった。

Sunday 12 September 2010

白洲次郎ボトル




つい最近と言っても一ヶ月以上前の話だが、畏友白洲信哉の依頼で彼の祖父にあたる白洲次郎氏の所有していた樽で作ったシングルモルトのウイスキーのボトルのデザインをした。実は今回で3回目のデザインなのだが、樽の寿命もあり、もうこれで最後になると言う。この樽は今から80年以上前に英国から贈られてきた樽を白洲次郎氏が所持していたと言う代物だ。このウイスキーの名前は’プリンシプル’。最初のデザインから一貫してつけてきた名前で次郎氏が好んで使ったとされる言葉である。そういったなか先日ある機会に友人達にも紹介する機会があり、購入してくれた輩が何人かいる。その彼らから、このウイスキーが手元に届いたと言う知らせが入り始めた。気になるデザインも結構好評で一人ニヤニヤと嬉しくなる自分が日本から遠い英国にいる。何となく不思議な感にかられる。


今度日本に仕事で行く機会に、一献傾けに行くつもりだ。今から楽しみである。

Wednesday 8 September 2010

久しぶりのブログ。ちょうど一週間前の夜、日本から来た衆議院議員の方と食事をする機会があった。その帰り道の車の中で妻の陣痛が始まったと言う知らせがはいる。3回目のことだから、少しは落ち着いてはいたが、とにかくまっすぐ家路に着く。そうこうしているうちに子供が生まれそうだと言うので病院に行き、新しい命の誕生を待つことに。出産の立会いはこれが初めてではないが、いつになっても慣れるものではない。ただ、男として何もしてあげれず、横で手を握ってあげることくらいしか出来ない自分があまりにもちっぽけに思えたのは確かだ。出産は女性に果たされた大仕事とはいえ、相当な痛みに耐える妻を見て’女性は弱し、されど母は強し’と言う言葉を思い出した。そんなことを考えているうちにクライマックスになり、ついに待望の男の子の誕生。自分もそうやって生まれてきたのではあるが改めて妻と生まれてきてくれた新しい命、そして自分の母親に対して感謝の気持ちで一杯になった。日本では立ち会う男性が少ないようだが、私個人の意見としては一度は見ていた方がいいと思う。女性に対しての考え方も変わってくるだろうし、人間の偉大さがよく分かるような気もする。出産後、分娩室から病室に戻る途中で、これから出産する人達が陣痛と戦いながら分娩室に行くタイミングを待っているのが見える、中には満面の笑顔で、おめでとう、と大きな声で言ってくれる人たちもいた。全ての環境、それを取り巻く人、助産婦さんやドクター達の温かい心が感じられる貴重な日となった。

Wednesday 18 August 2010

愛着

今日、子供をつれてTOY STORY3 の3Dムービーを見に行った。

仕事柄3Dに接する機会が一般の人たちより100倍くらい多いのではあるが、実際に眼鏡をかけて3Dムービーを見たのはこれがはじめてである。TOY STORYは前作もその前の作品もみたが、コンピューターの処理能力が年々早くなっているためか、3D技術は素晴らしいなかなかの出来栄えのものだった。AVATARも飛行機の中で見たときの2Dながら、そのクオリティーの高さに感動した自分がいたが、今回のものはストーリーもなかなかよく、涙腺の弱くなった親父には最後のシーンはちょっと涙がぽろり、だった。暗闇の中、横で見ていた娘をチラッとみるとやはり同じシーンで涙していた。映画が終わって、夕方のケンジントンの静かな通りを歩きながら、彼女いわく、"Dad,.. what are you going to do with all the toys I have ...when I am leaving home for my college..."  私いわく、'.......’ 考えたこと無かったので、ちょっと返事に困ってしまった。実際、似たようなことが幾度かあった。娘が学校で作った工作や絵を持って帰ってくるのだが、全部ひとまとめにして箱にいれたりする。そうこうしているうちにどれかを棄てないといけなくなるのだが、3歳の頃に描いた絵とかは、どうしても棄てられない。。これは描いた本人がそう感じているのではなく、親である僕達が、より強く感じているのである。

人間とは不思議なもので、愛着にこだわる生き物であり、それが人生の思い出を蘇らせてくれたりするから不思議なものである。こういった感情は親から子へ、そして、孫へと受け継がれていくものなのだろう。

Saturday 14 August 2010

故郷

今日熊本からわざわざロンドンにゴルフをしに来ていた友人が帰国した。中3日と言う超ハードスケジュールで彼はレンタカーを乗り回してゴルフ三昧(とはいえ、夜は夜でパブに行ったりで)の中身の濃い滞在になったようだ。最近の若者には無い、昔の僕たちのバイタリティーももっている、なかなかの行動派である。20年ぶりのロンドンと言っていたが、自由に自分の時間を使いこなして行動するために全く手のかからない有難い男である。車での移動もナビなど無く、紙切れを数枚持っているだけである。最近の日本人には珍しいタイプであるが、よく考えてみると小学校の頃から変わってないことに改めて気付いた。普段話すことの出来ない話題や色々懐かしい話にも花が咲いた。明日には日本に戻り、また医者としての忙しい日々を送ることになる。

今回のように友人が故郷から来たり、学生時代をすごしたアメリカの友達が来たりすることは非常に嬉しいものであるが、その反面、いったん帰国してしまうと、ポッと穴が開いたようになるのは常のことで、この感覚は死ぬまで持ち続けるものなのだろう。僕にもロンドンで生まれた子供達、そして妻ー家族がいる。ロンドンもある意味故郷となってしまっているが、生まれた故郷とはまた一味違い、こういった哀愁と言うのか、懐かしさ、と言うのは人間である以上持ち続けていくのだろう。

久しぶりの楽しい3日間だった。

Wednesday 11 August 2010

design

今日仕事を一緒にさせていただいているアンビエンテックの久野社長に、僕がデザインを手掛けたソーラーパネルの製品とCO2(二酸化炭素)モニターの紹介されているリンクをいただいた。http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20100707/1032294/?ST=life&P=4

今後の社会の中で環境意識をもって使用する製品が増えてくることは間違いないし、将来的には医療関係とエネルギーと言う壮大なテーマを重点的にやらなければいけない時期がもうそこまで来ているのは事実だ。

今回のこれらの製品は、日常で無意識のうちに環境問題に取り組めるようになれば、と言うコンセプトから生まれたもので、環境、環境と錦の御旗のように振り回している社会では、まだ環境問題に真剣に取り組んでいる社会の’真のあり方’とはいえないとおもう。アンビエンテックの久野さんとはもう長い付き合いになるが、彼は常にニッチな市場をねらい、かつ世の中にためになることをしようと一生懸命だ。バイタリティーもあり今後が期待される人である。二酸化炭素モニターなどは、その典型的なもので、車の運転などで眠くなるのは二酸化炭素が室内に増えるからであり、ドイツの車メーカーなども最近真剣に取り組み始めているものだ。また仕事をしている時もオフィスなどで、二酸化炭素が増えると効率が悪くはかどらない、と言う事実も既に報告されている。今後の普及に期待したいものだ。

話しは変わるが、先日、畏友白洲信哉の祖父の白洲次郎さんの持っていた樽で仕込んだシングルモルトのウイスキーをボトリングするにあたり、僕がそのデザインを担当させてもらった。今回で3回目で、これがこの樽でできる多分最後のボトリングになる。90年近く前にイギリスから送られてきた樽だ。
今回のデザインも終わり、ラベルをいまボトルに貼っている最中だとおもう。貴重なものになることは間違いないし、古き良き英国と、現在のモダンデザインの融合を楽しめたらと思っている。

Thursday 5 August 2010

友2

今日は電話で熊本の友人の一人と話をした。友人と言うのはどこにいてもそうだけど、本当に心の支えになっていると思う。彼は僕の実家の近くに開業してもう2年くらい経つだろうか。順調のようだ。夜中も仕事をしているらしく、いつも忙しそうだ。彼も患者の気持ちが分かる立派なドクターになっていた。2週間前の同窓会の時も急患が出たということで途中で病院にもどったらしいが、いやはや病院の医者は大変だ。彼とは7歳の頃からのつきあいなので、かれこれ40年近い付き合いになる。いい時も悪いときもそういった腹を割って話せる友達がいるからこそ今の自分がいるんだろうとも思う。人間、一人で生きてないんだよね。
日本のニュースでいたたまれない幼い子供2人が放置死されるというニュースがあったが、世の中なんか狂ってるとしか思えない。人の命を一生懸命助けようと頑張っている人がいるかと思うと、そうでないとんでもないものもいる。子供は生きるために生を受けたのであって、死ぬために生まれてきたんじゃあない。幼い子供を持つ親としてもいたたまれない悲しい気持ちで一杯だ。離れているとはいえ今後このような事件は起こってほしくないし、世の中ももっとまわりに関心を持っていってもらいたいと思う。

Saturday 31 July 2010

久しぶりにブログ更新。この2週間の間に色々あった。
先週は出張で日本へ行った。東京に入りその日は畏友の白洲信哉とまちあわせをして、それから、西麻布の無垢の渡辺さんにうなぎをご馳走になった。日本のあまりの暑さの中、うなぎで時差ぼけと体力回復をし、そのあとウイスキーを呑みに3人で繰り出す。今回は信哉の祖父に当たる白洲次郎氏の樽でボトリングしたウイスキーのボトルデザインをやるため、と言う名目でも集まりだったが、楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていく。次の日は名古屋へ移動。名古屋で2日間の仕事。名古屋ではddsの三吉野氏や猫博士の服部氏とともに、とり料理専門の日沖にいく。久しぶりだったが、相変わらず美味しいものを日沖さんがだしてくれる。うまかった。
東京にもどってから、東京、横浜と仕事をこなし、空路熊本へ。今回は両親の顔を見ると言うこともあるのだが、中学校の大同窓会なるこのがあり、講演を依頼されていた事もあり、と言ってもそれ以上に旧友に会うことが何よりも楽しみである。思えば、去年30年ぶりに皆に再会してから、あっという間に半年が過ぎた。楽しい時間というものはいつの日もあっという間に時が過ぎ去るように出来ている。恩師、先輩、後輩色々な顔の中にこの30年間の人生が刻み込まれていたような気がした。学校の友、社会人になってからの友、友達にも色々あるが、何歳になってもやはり友とはありがたい存在である。

昔よくオヤジに言われたもんだ。友達は大切にしろ。友情はお金では買えない。友情こそが一生の宝物だと。まさにそのとうりである。今はもうロンドンに戻って、仕事に追われている。しかし、友情とはどこにいてもかわるものではない。

Saturday 3 July 2010

Uruguay vs Ghana

アフリカ勢で唯一ベスト8まで残ったGHANAが昨日負けた。日本代表のケースと同じくPKでの決着となり運に見放された。やはりどちらかがスコアするまで試合をすべきだと思う。負けたほうの悔しさは計り知れない。GHANAの選手も泣いていた。ブラジルやアルゼンチンと言った優勝候補が負けてしまった今は、どこも応援する気になれない。
自分が応戦する国がことごとく負けていく。さて、どこが優勝するのか。。楽しみだ。

Wednesday 30 June 2010

JAPAN

日本が昨日の試合で惜しくも負けた。弱小ティームのような報道の中、わずかな期待を持って試合を見ていたのだが蓋を開ければ、決勝リーグまで進み、全ての試合で目に見えるような素晴らしいティームワークと団結力を見せてくれた。試合のたびにわくわくさせてくれて本当に有難う。選手、監督、周りのスタッフ達にも感謝している。KOMANO選手の涙は、4年後にきっと報われることを祈っています。涙腺の弱くなったオヤジとして ”よく頑張ったね!”一言、言いたい。日本人に夢と希望をもたらしてくれた今回の日本代表全員は皆堂々と日本へ帰れることだろう。KOMANO選手の悔し涙と、それをサポートしていたほかの選手、それは多くの日本人の心にいつまでも残るものだと思う。

Sunday 27 June 2010

ENGLAND

イングランドが負けた。今回は優勝候補の一つだっただけに残念だ。プレイヤーの一人一人がプレミアリーグの有名選手である。かかった予算も相当なものらしい。日本のプレイヤーの全員の年棒を足しても一人分にもならないような年棒を稼ぎ出すティームの結末ではなかったように思える。今日の試合後のストリートはやけに静かだった。イギリス人は、勝負に負けるとあっさりと負けを認めるフェアな精神を持っている反面、ガッツィーなところが無い。私にとって第2の故郷と化しているこの国のティームに勝ってほしかったのは事実であるが、まだ日本ティームの試合もあることなので気持ちを切り替えてそちらの試合を楽しみにするとしよう。(アルゼンチンも先ほど勝ったようだしよかった。)

Friday 25 June 2010

vs Denmark

日本が決勝トーナメントに進出することが決まりました。いやはや、おめでたい。
こちらのBBCでも絶賛されてましたからね。ワールドカップは本当に分からない。日本の友人達も夜中までテレビに釘付けだったらしいですね。お疲れさんです。

こちらでは、車専用の国旗を取り付けるホルダーが売っていてそれを自分の車につけて走っている姿がよく見受けられます。
時々信号で止まっていると、前の車は、イングランド国旗、右となりはポルトガル国旗、左はイタリア国旗などと一般道でもまるでワールドカップ状態です。私も日本の国旗と言わずRISING SUN(日章旗)をつけようかかと思ってますが、そのサイズの国旗がないんだよね。。せっかくだからイングランドの白地に赤のクロスと、日本の白地に赤丸をがったいさせたものを勝手に作ってつけようかなあ、なんて思ったりもしています。こちらは過激な奴らが多いから、まあ、日本と対戦しないことを祈っております。

今日も良い一日が始まりそうです。

Saturday 19 June 2010

WORLD CUP

日本が惜敗した。勝てるとは思ってなかったけど、もしかして、と言う思いは心の片隅にあったから、何ともいえない残念な気持ちだ。次のデンマーク戦に期待しよう。日本を離れて随分経つけど、心のよりどころとして自分の心の中のどこかに変なジャパニズムがあるのだろう。子供の同級生にもオランダ人の子がいて、お互いに勝てるといいね。なんていっているのを見るとほのぼのとした気持ちにもなる。子供の頃は自分の文化的帰属性がどうのこうの、なんていうのはきっとないんでしょう。うちの子供達もロンドンで生まれロンドンで育っているから、メンタリティーは英国人だが、自分の父親の母国を愛してくれるのは有難いとも思う。

しかし、スローテンポとはいえ思ったよりいい試合だった。日本ティームまた頑張ってください。

Friday 18 June 2010

ブログ

ブログを開設してからずっとほったらかし状態だったために、結構色々な人たちから’けつ’をたたかれ続けていたのがようやくこうして更新できてほっとしています。忙しい、というのはいいわけにしかならないからね。今日のロンドンは晴れ。夏とはいえ、朝夕の冷え込みが結構激しいので参ります。

明日は日本のワールドカップの2戦目のですね。1-0で日本が勝ってくれたら、まさに神風だよなあ。カメルーン戦も勝利したのは奇跡に近かったしね。

世界的に景気が芳しくない中、明るい話題としての今回のような世界規模のスポーツイベントはある意味大切なものなんでしょうね。普段は見ないサッカー(こちらではFOOTBALLという)でもワールドカップの、特に日本の試合は出来るだけ見るようにしてます。日本が負ければ、次に応援するのはアルゼンチンかな。日本もそうだけど韓国とかも同じアジアの国の中で頑張っていると思うので決勝リーグまで残ってくれるといいですね。日本を離れて人生の半分以上になろうとしているけど、いつになっても母国が頑張っているといい刺激になります。

日本人も、特に若い人達は世界に羽ばたくべく頑張ってほしいものです。