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Tuesday 27 December 2011

2011年


先週は韓国のソウルに仕事で行ってきた。とはいえ、家族での日本への帰省も兼ねての途中の韓国訪問だったために、家族もソウルに同行し韓国文化を楽しんだのは言うまでもない。韓国滞在中は今年の〆、と言っては大げさかもしれないが、韓国のパワーに圧倒された事はもちろんだが、滞在中に受けた僕の家族に対しての韓国の人々の暖かいおもてなしがこの年のハイライトのような感じで、’終わりよければ、すべてよし!’とでも言うのかな。。非常に充実した滞在だった。韓国での滞在中は、クライアントのジェイコブさんという好青年に色々と世話になり、彼の態度一つ一つが心のこもったもので見習うものも多いと思った。お互い年が近い事もあり、色々な意味で話も弾み打ち解けたのは言うまでもない。子供達もジェイコブさんの事が大好きになったらしく、日本に戻ってきてからも彼の話をよくしている。

今は日本での仕事納めとして、2日前に東京にはいり東京に滞在している。東京も寒いとはいえ、熊本ほど寒くもなく、(もちろんソウルと比べると問題外だけど)天気もいいので、過ごしやすい。宿はいつもの赤坂で結構歩いているせいか体の調子がすこぶる良いのも2011年を終えるにあたって、いい感じだ。。。そうそう、話は変わるが、昨日歩いていてバブルの象徴のようなホテルだった赤坂プリンスホテルのビルが晴れ空の夕日の中、解体を今か今かと待つように立っている姿が印象的で思わず写真を撮ってしまった。今度東京に来るときはもうないかもしれなしな。。

今日が東京最終日で、明日は九州に行くけど、東京での仕事も全て今日で終わり、実質2011年の僕の仕事はこれで終わりとなる。今夜は畏友、白洲信哉と呑みにでる。今年最後の東京の晩を楽しむ事にしよう。

(写真は夕日に映える旧赤坂プリンスホテルのビル)

Friday 25 November 2011

アメリカのTHANKS GIVING

12月がもうそこまで来ている。ここのところ、公私ともにものすごい過密なスケジュールで動いている事もあり、なかなかブログのアップデートが出来ていない。何かその日のちょっとした出来事でもいいから、感じた事等を書こうと思っていても後回しになってしまう。僕たちのようなクリエイティブインダストリーの人間は年末になると意味も無く忙しくなる。たとえそれがどの国のクライアントの仕事であれ同じような傾向にあるから不思議なものだ。


今アメリカではTHANKS GIVINGの時期である。アメリカでのTHANKS GIVINGは、クリスマスと同じくらいに大切な行事のひとつであるとはいえ、アメリカの友人達は皆口を揃えて、色々な準備が大変だと言っていた。家庭を持つ親としての自覚から来る重たい言葉ではあるのだろうが、’大変だ’と言う言葉の端々には家族と会える楽しみを心待ちにしている雰囲気が感じられるのも事実である。またこの時期になると、昔のことも思い出す。。僕がアメリカで学生生活をしていた時、毎年決まってやってくるTHANKS GIVINGの休みに様々な友人やクラスメート達が気さくに実家まで招待してくれ暖かくもてなしてくれた。大学のキャンパスでは男女問わず休み前になると、’THANKS GIVINGの休みはどこかにいくの?’と必ず聞いてくる。’いや、、まだ、、どこに行くか決めてないんだ。。”等と言おうものなら、じゃあこれこれこの日に私の実家においで。おいしいものがたくさんあるよ。” となるのである。アメリカ人の気さくさは、特に一人暮らしだった僕には非常にありがたかった。THANKS GIVINGとは、もともとその年の収穫ーハーベストーを感謝して始まったのであるが、開拓時代からある、ある種のフロンティアスピリットを未だに持っているアメリカ人達はTHANKS GIVINGという行事によってその年の無事を感謝し、そして今のアメリカを形成してきた。イギリスにはもちろんTHANKS GIVING というしきたりは無い。(しかし、こちらの大手のスーパーやデパートには、それに関係する食品を売っていたりもする所もある。)



今、日本等では留学離れが進んでいると聞くが、アメリカに留学する予定の若者にはTHANKS GIVINGの雰囲気は是非味わった方がいい、と声を大にして言いたい。ドメスティックな事だけではなく、色々な意味でアメリカという国が理解できると思うから。

Thursday 10 November 2011

僕にとってのロンドン

ロンドンという街の魅力を一言で言えば、’人間らしさ’、ということが上げられる。その昔、ルネッサンスとはなんぞや?という問いが中学校の試験などに出ていたが、日本中のほとんどの学校では’文芸復興’と教えていたようで、これが試験では ○ なのである。ただ、運良く僕の先生は、ルネッサンスとは’人間性の回復’と教えてくれた。’文芸復興’なんて答えようものなら、即 × である。 ’人間性の回復’、、、ロンドンで、この歳になって彼が教えんとしていたことが身にしみてよくわかるのである。

僕のようにクリエイティブインダストリーの仕事をしている者にとっては、ロンドンのように世界中のクリエイティブプロフェッショナルが集う街ほど魅力のある都市はなかろう。クリエイティブ、と言っても僕のような工業デザインーだけではなく、建築家、映像クリエーター、ファッションデザイナー、ミュージシャン、造園家、、あげればきりがないのだが、こういった人達が集まる街としてはロンドンは世界一ではなかろうか。勿論英語という公用語がある故、世界各国の人達が集まれることに起因しているのは事実だが、物創り(あえて物造り、とはしない)に対する考え方がフリーであるということも考えられる。フリーと言っても自由ではなく、要はある一定の条件のもと、それに最適な物創りをしていくうえでの考え方、発想の原点がフリーなのである。薀蓄をどれだけ語ってもダメであり、どこかの国のように声が大きいものほど偉くなるのとはわけが違うのである。ある意味人間臭く、同時に最先端の情報もしっかりと身につけているのである。

また、ロンドンは大都市でありながら、そう感じさせないところも多々あることも魅力のひとつだ。ちょっと足を伸ばせば、近場に美しい風景があり、日常の全てが僕のようなデザイナーにとっては作業場であり、書斎なのである。何気なく生きていても、この感覚はまるで呼吸をするかのように自然に身についていくものなのである。僕の第2の故郷となったロンドン、これからも僕に力を与えてくれることだろう。

Sunday 30 October 2011

時計の針を戻すこと

今日、というか正確には昨日の夜中の12時にこちらロンドンは冬時間になった。一時間時計の針を戻すのであるが、毎年この時期になると、半分焦りのきもちもあるからか、’年末が来た’と痛感するのである。歳を重ねるごとに時間のスピードは加速する。あっという間に一年が経つ。光陰矢の如し、とはよく言ったものである。

昨日BBCのサイトを見ていたら、ウェストミンスターにある通称BIG BENの時間を戻す作業の記事があった。通常僕達の生活の中で一時間時間を戻すということは、その分得をした、と思うのが当たり前だが、この作業をしているワーカーの方々は前日の9時から命綱をつけて5時間をかけて針を戻すのだそうだ。BIG BENには4つのフェースがあり、それら全ての時間を戻し、調整するというまことに大層な仕事である。彼らだけが、この’得した一時間’という概念をもてない人たちだ。とその記事に書かれていたが、まさにそのとうりだと思う。

歴史や伝統を守るということは時間と戦う、ということでもある。ただ、このような戦い方を誰が想像しただろうか。ロンドナーだけでなく、BIG BENに恩恵のある人たちも少なくはなかろう。今夜はいつもより早く日が沈んでしまったけど、命がけで作業をしてくれた彼らに’乾杯!’といこう。

Tuesday 25 October 2011

韓国





久しぶりのブログ更新だ。ブログというものはタイムリーに更新しないと新鮮さだけではなく、自分自身、つい先日の思い出や出来事そのものを忘れてしまい、よくないとは分かっていてもなかなか色々な事情で出来ないものである。


先週は韓国に出張へ行き、その足で日本へと仕事でいった。


そもそも韓国行きが決まったのは、他でもないマツタケパーティー(畏友の白洲信哉のブログ参照:http://www.shirasushinya.jp/blog/)を韓国で行なうという知らせがDDSの三吉野君からあり、皆の都合を合わせた結果その週になったという次第だ。勿論、マツタケだけのためにロンドンから韓国に行くということはありえないために、仕事と絡めてのわがままな日程調整を聞いていただき、今回のイベントになったということを付け加えておく。


今回は三吉野君の会社の韓国支社長である、池さんと彼の先輩で前回日本でのLFA試乗会にも参加された安さんのホストで、レクサスの岩田さん、畏友の白洲信哉、前述のDDSの社長の三吉野君、そして僕という6人での、いわば、チョイ悪オヤジどころか、極悪オヤジ(失礼)の集まりでのイベントで、秋の韓国を堪能させていただいた。ホストの安さん、池さんが素晴らしいマツタケを3キロも用意してくれ、安さんがオーナーでもあるソウルの’松寿司’で、コレでもか、というほど食ってきました。


和食に造詣が深く料理の腕前も一流である信哉のリクエストでの料理もあるかと思えば、そこで肉と一緒に焼いてくれたもの、はたまたマツタケご飯など、至れり尽くせりでのイベントで至福のときを過ごしたのである。昼間に仕事しているときからこのイベントが気になって仕方なかったのではあるが、何とかこなした後のやろう6人衆のパーティーは本当にすばらしいものだった。勿論マツタケだけではなく、その後呑みに繰り出し、楽しんだのはいうまでもないが、地元の安さん、池さんの素晴らしい接待が、逆に今の日韓のギクシャクした関係を考えさせられた。彼えは本当に礼儀正しく、いい’漢’であり彼らから学日、考えさせられることが多いと思ったのも事実だ。


僕にとっては生まれて2度目の韓国だったのだが、行く度に人々の温かさや、礼儀正しさを感じることの出来る国。また、是非韓国に行きたいと思う。ロンドンに戻ってきて、家族に色々な話をしたのであるが、僕の家族も興味を示し、今度日本に帰省するときには是非韓国経由で行って見たい、と言っている。日本の隣人として、そして今後のアジアを活発化させるようなパートナーになれるようなそんな関係がいつかできるといい、と深く感じた。


安さん、池さん、有難う。



(写真は韓国の表参道、と言われているところー名前を失念しましたーで、極悪オヤジ6人衆。)

(呑み屋での畏友、白洲信哉とのツーショット)

Sunday 9 October 2011

カントリーサイド




昨日はNational Trustのサイトの一つClandon Parkに車で出かけたのだが、到着してから土曜日はやっていない、ということが発覚。うーむ。何たる失態。せっかく来たから近くにどこかNational Trustのサイトがないか地図で調べると一つこじんまりとしたHatchlandというところがある。ロンドンを出た時間が遅かったこともあって、ランチには遅すぎるし、ディナーにははやすぎる時間ではあったが、そこにレストランも併設しているというので行って見ることにする。典型的な英国の田園風景と呼ぶにふさわしい美しい環境の中、なかなか立派な建物がある。ここのレストランで軽く腹ごしらえをすることに。スティルトンとブロッコリーのスープとフランスパン、それにジンジャービールという一見質素に感じられるが、まあ、軽食だから、とそれを注文。田舎、と日本語で書くと失礼だが、要はカントリーサイドの軽食には、あまり期待はしていなかったのだが、それはそれは美味しいものが出てきてびっくるする。ウエイターやシェフも出てきてサーブしてくれるのだが、彼らの接客態度といい、立ち振る舞いといい、ロンドンの都会のレストランと引けをとらないような洗練のされ方だ。



欧州や英国では日本でよく言う’田舎’という言葉は、日本のそれとはかけ離れたものがある。まず、ファッションや立ち振る舞いもそうだが、こちらの田舎はロンドンの中心地と変わらない洗練のされ方がある。日本ではまずありえないことだ。日本だと、’田舎’に行くと本当に ’いなかっぺ’ の文化があり、垢抜けない、という日本語がぴったりだ、と感じることも多かろう。こちらの田舎、つまりカントリーサイドでは都会で生活する人たちも多く生活している。つまり、仕事はロンドンで週末はカントリーサイドで、といったパターンの人々ガいるかと思えば、生活そのものはカントリーサイドで、何か重要なことがあるとロンドンにもある家へ出かけるような、要はカントリージェントルマンのような生活をしている人たちもいまだに多いということなのである。そういった洗練されている人達が周りにいると自ずから’田舎’は’田舎’では無くなるのである。ビレッジと呼ばれるところも、それを’村’と直訳するととんでもないことになる。美しいところが非常に多いのが常であり、それぞれのビレッジが何らかの素晴らしい特徴を持っているのだ。



日本も政治は中央集権でいいとしても、文化に関しては色々な地方ー’カントリーサイド’各々の特徴を前に出せるような考え方をしていかねばならぬ日が絶対に来ると思う。ただ単に思うだけでなくそうなって欲しいものだ。それぞれの地方が洗練されていくことによって日本人の民度はもっとあがることは間違いないだろうから。




(写真はスティルトンとブロッコリーのスープ、とジンジャービール)

Wednesday 5 October 2011

異常気象

今地球のいたるところが色々な、そして異常な気象に見舞われている。日本の大地震もその一つだが、台風の影響や、それにより起こった洪水問題等、枚挙に暇がない。

ちょうど一月ほど前に日本に出張したときも、あまりの暑さに閉口したのであるが、その暑さから気温8度のロンドンに戻ってきたときは25度も違う気温差に体がなじむまでが大変だった。そのロンドンでこの10月に入ってからのこの3,4日間、まるで忘れられた気まぐれな夏の太陽が、冬支度をする人たちにいたずらをするように突如30度近い気温を持ってきたのである。毎日が雲一つない快晴で、それ自体は嬉しいことなのであるが、突然表れた真夏日に、何か遊ばれているような、そんな感じだ。

今、北極圏でもオゾン層の深刻な破壊が指摘されている。僕達人間は、地球規模の環境問題を考え、日本の原発問題で提起された今後のよりよい環境存続という課題も含め、色々なチャレンジをしていかねばならない次期に来ている。地球は5億年経っても美しい姿を残していくのかもしれないが、その頃には人間はいない。という説を何かで見たことがあるが、ここ10年の間の酷使され続けている地球を見ているとそうなるような気もする。地球はいま悲鳴を上げ始めているのだ。

Monday 26 September 2011

グルメ都市、ロンドン

ロンドンという都市は’グルメ’という言葉が似合わない都市だと昔から言われていた。確かに欧州に旅行で来た事のある人ならば、欧州で食事の美味しいところはどこだと聞くと、イタリア、スペイン、フランス、、などが真っ先に出てくるのが常である。確かに北欧で食事するとあまり旨いとは思わないが、イタリア、スパイン、フランス以外にもポルトガルやハンガリー、ギリシャ等といったかなり美味しい物に出会える国があるのも事実である。しかし今日夕食を食べていてふと思った事があった。実はロンドンほどグルメな都市は世界中そうないのではなかろうか、、と。確かに日本の食事は美味しい。日本人として、いやこの地球に住む地球人として、日本食は美味しいと思う。日本食は四季折々の食材で食べるものを五感で楽しませてくれる。ただ、一般で言う食材の確保、という点に関しては日本国内ではバリエーションが少ないように思える。

ロンドンでは一般人が何か料理しようというときに、それが何料理であれ、たいていの食材が簡単に揃う。中近東やアフリカに近いということや過去に植民地を持っていたという事実から、色々な国出身の人達が生活しあらゆる食材があちこちから入ってくるからだ。つまり、料理に興味があり、それを真剣につくろうという思いのある人であれば、ロンドンほどグルメな都市はないのである。今日はイタリア料理を食べたのであるが、これと同じものを日本で作ったら、その辺のお店では材料がまず揃わないと思う。もし明日タイ料理、あさってギリシャ料理を作ろう、と思ってもロンドンではすぐに食材が揃うし、それに会うワインのバリエーションもかなりの数、あるのである。

僕がロンドンに来た16年前も、まともなレストランは限られていたように記憶している。なんでも昔は、富裕層にはお抱えのシェフが必ず居るし富裕層以外の層では外食は高すぎて行けないために、外食産業が発達しなかった。と聞いたことがある。最近のロンドンのレストランはモダンブリティッシュクイジンを経て色々な種類が出てきている上、ロンドナーの舌も肥えてきた為か、旨いところがめっぽう増えた。僕も料理が好きである。旨いところにいくと、それ以上のものを作ろうと躍起になることもあるが、食材がすぐに手に入るということは有難いもので、あっという間にレストランでも開けそうな料理が出来ることもある。

さぁて、明日はどこか変わったところの食材で、昨日買ったワインにあう、食事を作ってみようかな。一週間に一度か2度くらいしか料理をしないのではあるが、子供達も結構楽しみにしていることもあって、腕によりをかける、ととでもいうのかな。今から楽しみだ。

Sunday 25 September 2011



日本から帰ってきて既に一週間が過ぎようとしている。今回ほど時差ぼけならぬ、気温ボケに悩まされたことはない。東京では連日30度を越える暑さに閉口していただけに、ロンドンに戻ってからの朝夕の冷え込みは尋常ではなかった。この一週間、日中の最高気温でも13度とかが続いていたために、どうも調子が狂ってしまう。。。。家の前のコミュニアルガーデンの木で、一本だけ木(気)が早いのがいる。こいつは8月の中には紅葉をはじめ、他の木や周りの景観を一切無視し、その上いつ葉っぱが落ちてしまうかと思いきや、なかなかしぶとくお化粧をしただけで一向に落葉にならないのである。僕が知っている限り、ロンドンの紅葉は、アメリカや日本のそれとは違い、静かに、そしていつのまにか色が変わり、落ちてしまっている、というパターンが多い。昔アメリカに住んでいた頃、秋口の紅葉には目を見張るものがあった。僕は日本を離れて随分になる。僕の心の中にある’思い出としての紅葉’という意味では、久しく日本のそれを見ていない。寂しげながらも、ロマンティックで恋人達が集うようなイメージのある紅葉の季節。少なくとも現実主義のロンドナーのあいだでは、そういったロマンティックな感情はないようだ。欧州の、それもフランスやドイツといった国のほうが、よっぽどロマンティックなのではなかろうか。とも思う。9月も来週を残すのみとなった。10月にはいれば、本格的な秋なのだろうが、月末には冬時間もやってくる。そして本格的な冬支度の始まりだ。


ロンドンの秋は長いようで短い。感傷的になる暇はないが、昔から僕が感じている独特な秋の雰囲気を少しでも感じられればと思う。。。まあ、まずはパブに行って酔っ払うしかないかな。。


(写真は木(気)のはやい木)




Tuesday 20 September 2011

British Telecom の青年

この2日間、どうもブロードバンドの調子が悪い。BTに電話して問題を伝えたら、今日エンジニアが修理に来るという。仕事をしていたらエンジニアが来た、というのでちょっと顔を出したら、ドレッドヘアのボブ マーレのような青年がいた。カリブの血が強いのか、ジャマイカの音楽家!といった風貌だ。彼の格好と持参しているギアがどうも不釣合いだ。僕の方も仕事をしなければいけないのだが、興味があったのでしばらく見ていると、彼のツールボックスからハイテク機材が次々と表れる。そのうえ彼の英語は綺麗なBBCイングリッシュだ。的確に問題点を探り当て、修理に必要な部品を取り出し、手際よくやっている。あっという間に修理が終わり、コネクションテスト、と称してなにやらハイテク機材でやっている。一発でブロードバンド接続が出来た。

普通日本ではエンジニアというと作業服を着て、いかにも、といういでたちが多いのに対し、こちらは格好で判断するのではなく、何が出来るかである。彼の手際よい作業を見ていると気持ちいいくらいだ。それに説明も的確で、なかなかの好青年である。

修理が一通りおわり、これで大丈夫です。と。別れ際にうちのオフィスに飾ってある、ベースギターをみて何か言っている。どうした?と問いただすと、”僕もベースギターをやるんですよ” と。何でも音楽が大好きで自分のバンドも持っているという。’誰がすきなんだ?’と聞くとGeorge Benson だという。僕も大ファンでアルバムはほとんど持っている。彼曰く ”George's guitar is like.... drinking iced cold water...It's such a refreshing!" だと。確かに言われてみれば、そうだな、と改めて思った。なんだかこの出来事が今日一日のハイライトのような気がして、短い会話の中に共通の喜びのような物を感じることが出来た。ブロードバンドの問題からこのような会話になり、人間の人生に起こりうることはそれなりの理由があるのだなあ。。と思った。きっと神様も最近忙しい僕に’ちょっとはリラックスしたらどうかね!’とでも言ってそうな、そんな感じだった。今日は家に帰ったらGeroge Bensonを聴こう!

Saturday 17 September 2011

暑かった東京

今日が東京最後の日。というか今日の便で僕は機中の人となる。
昨日は大船のクライアントに会いにいった。僕が勝手に’大船三羽がらす’と命名している富岡さん、竹内さん、芦田さんに会うためだ。彼らとは顕微鏡のデザインの仕事で知り合い、また打ち解け合い、仕事の後の一杯が暗黙の了解になっているかのようだ。打ち合わせ後は大船駅周辺で呑むのがいつものパターンだが、それが魚の旨い店だったり、アイリッシュパブだったり、創作日本料理だったり、、、、様々だ。昨日も例外ではなく、駅前にある、名前は失念したが、くいっと一杯つまみとともに気軽に呑めるお店だった。というのも僕のスケジュール上、6時半には大船を出ないとと次のアポに間に合わないということで、彼らに気を使っていただいた結果そうなったのである。短時間決戦とはいえ、楽しいひとときを過ごさせてもらった。感謝感謝である。盛り上がっている最中にふと腕に目をやると7時を越えている。楽しい時間というものはそういうものだ。

大船の後は赤坂にもどり、同級生の会におくれて参加。小一時間の短い時間ではあったが、これも楽しませてもらった。2年前に卒業30年同窓会以来、機会があると皆で集まるのだが、なかなか皆忙しく都合もつかない年代にもなってきている。昨晩はいつもよりずいぶん早めに終わった事もあり、十分な睡眠が取れたのはいうまでもない。

今日は僕の帰国便が夜の9時発ということもあり、朝から日本橋であった細川護煕氏の展示会を拝見。素晴らしい作品のオンパレードでほとんどのものが既に売れている。まさに審美眼の究極ともいうもので素晴らしい意外の言葉は思い浮かばない。良いものを拝見させてもらったし、ご本人とも話をする事が出来た。

後5分もすると僕のフライトの搭乗が始まる。写真も載せようかと思ったが、時間がかかりそうなので、今日はこのくらいにしておこう。

さあってと、荷物をもって搭乗ゲートに向かおう。

暑く、忙しい東京だけど、楽しかった。

Friday 16 September 2011

時間




今日は東京滞在最後の日。とはいえ、朝から慌ただしい日になることはわかっている。昨晩呑んだ酒が少し残っているためか、頭が少し痛い。しかし昨日は充実した一日だった。

昨日は午前中にある程度仕事をかたずけるつもりで動いていた。というのも午後3時に畏友、白洲信哉と八王子の駅で午後3時に待ち合わせをしていたためだ。通常僕たちの待ち合わせというのは早くても午後7時、とか言うパターンが多いのだが、今回ばかりは勝手が違う。最近八王子に出来たばかりの、オリンパスホールに行くためだ。西本智実さんからの御厚意で、彼女のコンサートのリハーサルを見に行くという贅沢な時間の過ごし方だ。練習とはいえ本番さながらの迫力のこもった演奏に見ている僕も力が入って、おもわず汗がでそうだ。リハーサルが終わる頃には彼女も汗だくで運動量としても相当である。彼女がエグゼクティブプロデューサーでもあるオリンパスホールのほうも立派なもので収容人数も2000人ということだが、いやいや立派なものである。

やがてリハーサルも終わり、信哉が西麻布で6時半に予約しているお店へと急ぎ足で向かうことに。西本さんたちの車で一緒に移動する、というオファーを頂きながらも、夕方の高速の状況が読めないと踏んだ僕たちは一足先に電車で西麻布を目指す。ところが僕たちが店に着いたときには彼女達はもう席に着いてニコニコと笑っているではないか。。蒸し暑い電車のなかで、信哉と冗談っぽく話していたことが本当になった。。。そうこうしているうちにメンバー全員がそろう。今回は僕たちの他にレクサスの岩田さん、竿田さん、DDSの三吉野君の7人だ。旨い食事と、お酒に花が咲き、楽しく充実した時間はあっと言う間に過ぎていく。コンサート本番を控えた大事な体の西本さん達を車に乗せて見送ったあと、残った僕たち男衆はまるで示し合わせてかのように無言のまま、渡辺さんの店ー無垢ーへと歩き出す。無垢では、呑み過ぎた自分の体の事を考えてビターズのソーダ割りで時間を過ごしたのだが、不覚にも椅子に座ったまま30分ほど寝てしまった。僕たちが陣取ったテーブルでは信哉や三吉野くんの会話が夢物語のように聞こえたのも事実である。そうこうしているうちにいいのかわるいのか体力も復活し、渡辺さんに次のお店ーシャンパンバーとつれていってもらう事になった。葉巻とシャンパンというそこでの時間も楽しいものだったのだが、ふと時計に目をやるともう3時を回っている。。。充実した時間というものはなぜこんなに短いものなのだろうか。。。

充実した心のかたすみにむなしさを残し、後ろ髪を引かれる思いでホテルへと戻った。

日本への出張では友人や色々なクライアントとの会食が多いのだが、こういった時間というものは常にものすごいスピードで動いている。年齢を重ねるごとに、この感覚は年々加速し
ているといっても過言ではなかろう。2度と戻ってこない貴重な時間。その時その時の感覚を大切にして生きていきたい、と改めて思ったのはいうまでもなかった。そういう思いを胸にいつの間にかホテルのベッドで、着の身着のままでうつぶせで寝ている自分がそこにはいた。

(オリンパスホール最上階に佇むシンヤ、三吉野君と岩田さん、西本さんと食事の席で。)

Monday 12 September 2011

ばたばたの出張日程。





昨日大阪から浜松に行き、打ち合わせ後、夕方東京に入った。

大阪には日曜の午後入ったのだが、熊本の暑さを連れてきたかのように暑い。これでも涼しくなったそうだが。。大阪は東京等と比べ、緑が少ないためにアスファルトの照り返しが暑さをもっと感じさせるようにも感じる。。用事を済ませた後、ホテルにクエックイン。空調が利いているせいか、それとも汗をかいたせいか室内は幾分肌寒い。この極端な温度差に昔のマレーシアや香港と行ったいわゆる東南アジアのホテルのことを思い出した。。
そうこうしているうちに夕方になり、昔大変お世話になった方、水谷さんと10年以上ぶりにあって、食事をする。彼も昔とあまり変わっていなく嬉しかった。食事をした後にホテルの最上階のバーで大阪のパノラマを背景にスコッチを飲みながらのエンドレスに会話が続いた。
彼も欧州の駐在が長かったために色々と似たような経験話に花が咲く。こういった時間は概して足らなくなる、ということは最初から百も承知だったのだが、こうやってみるといかに長い間ご無沙汰していたか、改めて感じてしまった。楽しくも充実した大阪の夜だった。

翌日大阪から浜松へ移動。浜松ではクライアントと昼食のインド料理をはさんでの打ち合わせ。浜松も暑い!ただ、食事の後は辛さで汗をかいているのか、暑いからそうなのか、、いずれにせよ、’HOT’な時間だったこと間違いない。ただ時間はいつまでもまってない。あっという間に新幹線の時間が来る。東京行きに飛び乗り、一度荷物を置きに赤坂のホテルへと向かいその足で西大井へ。西大井でクライアントのオフィスを訪ねた後は恒例の呑み会へと流れる。途中歩きながら弱々しい蝉の声に初秋らしい空気を感じながらも改めて日本の四季の豊かさを感じることが出来たことは言うまでもない。

しかし、、忙しい一日だった。

さ、がんばろう。今日もまた、新しく、そして忙しい一日が始まろうとしている。


(写真は上から、水谷さん、移動中の新幹線からの富士山、通りで見かけた秋の気配のする神社、クライアントとの飲み会。左からマット、柳沢さん、赤羽さん)

Sunday 11 September 2011

Kumamoto


今、日本にいる。出張での来日で、成田に着いたのは金曜日の朝だ。羽田に移動後、打ち合わせを済ませ、そのまま熊本へ飛ぶ。週末の時間を両親や兄弟への顔見せと時差ぼけをとるため、と自分にはいいきかせながらも、連日連夜、色々な人たちに会おうとするために時間がどれだけあっても足りない。 ちょうど抜群のタイミングで、熊本で開催の九州創発塾なるものが、脳科学者の茂木健一郎さんのコーディネートで開催されたいた。彼とは熊本で旨い馬刺を食べにいこう、という約束をしていたこともあり、彼の多忙なスケジュールの合間を縫っての食事会になったのは言うまでもない。本当なら一日早く熊本に入り、約束事をちゃんと果たす予定だったのだが、時間と馬刺に対する愛着度の都合上、馬ではなく郷土料理らしきものをだす’こじゃれた店’に行くことになった。相当疲れているだろうこの時間帯、嫌な顔一つせずにニコニコしている彼を見ていると、彼の人柄、またその人気のほどがわかる気がする。

暑い熊本で呑んだビールは旨かったかな。。彼が東京へ戻る間際のビールと彼とのウィットにとんだ会話が暑さをいつのまに心地とのものへとかえてくれたことは事実だ。

明日からは大阪移動後浜松東京といく。
茂木さん有り難う。

Sunday 4 September 2011

僕のお気にいり、Arundel



先日West Sussex にある Arundel という町に休暇で行って来た。ロンドンから南西に車で1時間半~2時間くらいの距離だ。距離でいうと150マイルくらいか。夏休みも終わりに近ずくこの時期、M25環状線のモーターウェイは結構な車の数だ。週末が近いということもあるのだろうが、M25からA24の国道、つまりロンドン郊外に出ると車もまばらになってくる。Arundel にいくまでの道程は本当に美しい。田園風景のなかをひたすら走りぬけ、最後の丘を越えると大きく聳え立つ立派な城が見える。Arundel は城下町で城を中心に町が栄えている。昔風の町並みと人懐っこい住民がいるそこは、僕達にとっては非常に居心地のいいところである。


まずは久しぶりの真夏日を感じていた僕の喉を潤しにいかねば、と。中心地のパーキングエリアに車を停めて近場のビストロバーへ行く。そこで頭が割れるほどに冷たいビールをたのみ休憩。その後は僕達のお気に入りのArundel Avisford Hilton Hotel へと向う。広大な敷地の中にあるこのホテルは、昔プレップスクールだったらしく、改装後ホテルとして使用されるようになったそうだ。アメリカなどにはこの手のホテルが多いのだが、歴史の違いがなんともいえない品のよさを醸し出している上、人工的でない美しいゴルフコースから、インドア、アウトドアのプール、他に広大な庭で遊べる施設が品よく配置されている。この広々とした緑の中で過ごす贅沢な空気と時間は何ものにも代え難い。。。ゆっくりとプールに浮かび、夕暮れに染まり行く空を眺める。掛け値なしに美しい、の一言だ。プールサイドでは品のよい老夫婦や新婚カップルがデッキチェアで同じ空気を楽しんでいるのが分かる。鳥の囀りだけをBGMにして時間の過ぎるのを皆惜しんでいるかのようだ。。。日が西に沈みかける頃、ホテルの部屋へもどり、ひとっ風呂あびる。7時にはディナーを予約していたために、スマートカジュアルに着替えレストランへと向う。旨いワインと食事。時間を忘れさせてくれるウイットにとんだ会話、あっという間に一日が過ぎていった。


どうやら、僕の中ではここを常宿にしようという魂胆が家族にばればれのようだが、次にここに来るのは10月の子供の学校のミッドターム休みのときかな。そのときに僕の時間が取れることだけを祈るしかないな。。


(写真は夕日に映えるホテルの庭)

Monday 29 August 2011

Clivedenで思ったこと。









今日は家族でナショナルトラストのサイトの一つである、CLIVEDENというところに行った。ロンドンの中心地から西へ1時間くらいのところにあるそれは素晴らしいところだ。ナショナルトラストの会員である僕は英国に何百とあるこういったサイトへはただで入ることが出来る。こういった仕組みは真に有難いもので、流石に英国という歴史と文化を今までじっくりと育んできた国の誇るべき仕組みだと思った。広大な敷地の中、素晴らしい館とそれを取り巻くイングリッシュガーデンが、来る者は拒まず、とでも言ってそうな感じだ。ガーデンとはいえ、信じられない規模であり、小高い岡から見下ろす田園風景やその中を静かに流れる川が心を癒してくれる。結構な距離を歩いたとは思うのだが、全くそれを感じさせない訪問者を包み込んでくれるおおらかな空気がそこにはある。


よく天才の輩出数と美しい風景の数とは比例するといわれる。確かに英国にはノーベル賞受賞者数で世界1,2を誇るケンブリッジ大学やオックスフォード大学があり、数多くの天才を輩出している。日本には秀才君たちはたくさん居るのだが、天才といわれる人は秀才に比べ少ない。勿論日本にも美しい景色は多く存在するのだが、果たしteそれを本当の意味でアプリシエートしている人達がどれだけいるのだろうか。また存在したとしても彼らは勉強をするという環境下でそれを感じることが出来ているのだろうか。。多分そうでは無いと思う。


今後日本でもそういった環境を整える時代がやってくる、と願っているのだが、僕達が生きているうちにやってもらいたいと思うし、またそれを僕達も頑張って未来の子供達のために先導して行かねばならないのかな。。。


そうこう想いにふけっている間に、日は傾き美しい夕日がこの景色にまた違った彩を加えてくれているのに気がついた。









Friday 26 August 2011

ピアニストの青年

昨日、僕の友達から紹介された、日本から来た若く、そして今後が期待されるピアニストの青年とその御父上と夕食を共にする機会があった。夕方6時半にオフィス近くの駅で待ち合わせし、その足で僕の行きつけのパブへと直行。ゆっくりとした時間と空気のながれるそのパブで本当の意味でのロンドンらしさを感じてもらいそれから食事へと流れたのだが、時差ぼけで疲れていたこともあるだろうに、つい悪い癖で僕の方も遅くまでひきまわして申し訳なかった。時差ぼけもあっただろう、そのなか音楽の話になるとキラリとひかるその眼。

彼の名は、内匠慧くん。東京芸大の一年生でまだ18歳。ロンドンのロイヤルアカデミーに留学での来英である。日本でのピアノコンクールでのファイナルを追えて、その足でロンドンに駆けつけたという、なんだか昔の僕の出張でのスケジュールのようなハードな日程での行動に、おもわずなつかしい若さとバイタリティーを感じてしまった。そうそう彼の演奏をyoutubeでも聴いてみた。素晴らしいの一言である。持って生まれた才能もあるのだろうが、それ以上の努力もあるのだろう。熱心な御父上のもと頑張っているのがよくわかる。英国での生活を経て一皮も二皮もむけて立派なたくましいピアニストになってほしいものである。そして同じ日本人として、英国でそしてこれからの世界に羽ばたいってもらいたいものだ。

良い酒と良い食事、そして何より良い会話がそれを音楽のように包んでくれた。音楽という世界共通の言語と彼らの存在のせいもあると思うのだが、僕もデザインという世界共通の言語でまだまだ頑張らねば、と感じさせられた晩だったことを付け加えておく。がんばれ!慧くん!





Tuesday 23 August 2011

オフィスでのつかの間の時間



先日、夏休み中の子供達が、僕のオフィスに来て絵を描きたい、という。長女には誕生日に買ってあげた油絵のセット一式が僕のオフィスに置いてあることもあり、それに感化された次女もアクリルペイントセットなるものも持参してのお絵かきタイム。キャンバスに自分の頭の中にある世界を書いてごらん、とある程度の課題を与え各々描き始める。


長女は慎重派。下書きを入念にしてから、色を丁寧につけていく。次女は僕と同じ右脳派のようで思いついたものを下書きもなくどんどん描いていく。僕の方も納期間際の仕事もあり、娘達にミーティングルームを使わせて、自分は自分のオフィスの部屋で仕事をこなすことにする。ランチを挟んでもくもくと描き続ける2人。性格も手法も、全てが違う2人の作品はキャンバスに初めて描いたとは思えないような出来だ。なかなか面白く、工業デザインという職業の僕にもなんらかの刺激を与えてくれたのは間違いない。


今度は2人に抽象的なオブジェを描いてもらうよう約束した。よく出来ても出来なくてもオフィスに飾ろう。次回がまた楽しみだ。














(写真はお絵かき中の2人。。)

Monday 15 August 2011

ロンドンの夕暮れ





先週、友達2人が家族とともにロンドンに遊びに来てくれた。2家族とも別々のフライトで一日違いでの来英だ。この1週間、ロンドンでは暴動の報道のせいか、心なしか観光客が少ないように思えていたのだが、彼らの心情も例外ではなく、不安はあったようだが家族共々何も問題はなく5日間を過ごし今日無事に帰国の途についた。僕が住んでいるケンジントン地区では暴動とは無縁であったとはいえ、メディアなどの報道の仕方では行きたくない都市になってしまうのだろう。それが海外のメディアとなればなおさらだ。


それはそうと、彼らも滞在中には2つも3つもミュージカルを見に行ったり、美術館巡りをするなど文化的なアクティビティーをしていたようだ。子連れのそれも時差ぼけとの戦いの中、精力的に動いた後のビールは美味い!と力説していたのには思わず笑みが出てしまった。イギリスの夏は日本のそれとは違い、比較的に涼しく乾燥しているということもあり過ごしやすい。逆に日本から来ると帰って寒いと思うことも多かろう。ただ、一年で一番いい季節ということもあり、その上天気にも恵まれて2家族ともに充実した時間を過ごしてくれたようだ。帰国前日には皆でレストランの大きなテーブルを囲み、イタリア人のようなにぎやかな食事をすることが出来た。いい酒といい食事。僕もロンドンにいるとはいえ、楽しい時間を一緒に過ごさせてもらった。


先日、一家族目が一日先に帰国し、もう一家族は今日ロンドンを発った。彼らが帰った後には、心の中にぽっかりと穴が開いたような気持ちになったのは言うまでもない。この気持ちはいつになっても変わらないし、死ぬまで持つ感情の一つだと思う。最後の日、夕方から有名なタワーブリッジに行きぶらぶらと散策したのであるが、そのときにタワーブリッジから見た夕暮れはまるでターナーの絵の様にダイナミックであり、心なしか僕の心を少し表してくれているような気がした。


彼らもまた、同じ様な気持ちで他のかもしれないが、また来年も遊びに来てくれるだろう。



(写真はタワーブリッジ と 橋の袂から臨む夕日)

Tuesday 9 August 2011

英国の暴動騒ぎ

BBCのニュースなどでもここ数日の英国内の暴動事件が重点的に取り上げられている。
色々な話の挙句に人々は結論を求めたがる。これは人間としての性なのだが、このような事件では結論も何も、誰にもわからない。政府をターゲットにする人もいれば、家庭内の問題をターゲットのする人たちもいる。はたまた、今回の暴徒の団結をもたらしたフェイスブックやTWITTERといったSNSを標的にする輩もいる。何が問題なのか、問題自体が解らないのに、答えが出るはずはない。そもそも、人間の社会というものは残酷なもので、欧米諸国が今まで錦の御旗のように振ってきた’自由と平等の旗の下’という概念そのものが疑わしきものなのであり、人間そのものの平等という言葉はこのような問題が起こったあとには存在しない。暴徒の一人がニュースで語っていた言葉に、’繁華街に行けばスニーカーが150ポンドで売っている。確かに格好いいし欲しい、、ただ、自分は仕事もなく、一週間で42.5ポンドをもらっているだけなので、そのようなものは手に入れることが出来ない。。。’と。

社会格差のなかで、多くの若者があえぎ苦しんでいるこの不景気社会。このような状況の中で今後の英国政府がどういう対応を見せていくのかが注目されている。日本のように我慢とか思いやりとか譲り合いなどといった、余裕のある人たちだけが持てる考えや行動は、この国の貧困層といわれているコミュニティーにも存在しないはずはないのだが、日本と比べその割合が極端に少なすぎるような気もする。

まだ、僕がいるケンジントンにまでは飛び火していないが、そう悠長なことも言ってられないだろう。いち早い事態の収束と平和な世の中を願うばかりである。

Friday 29 July 2011

private view



昨晩、オフィシャルなフォーミューラー1の写真展示会に招待され行ってきた。会場に着くとなにやらレッドカーペットの小型版のようなものが入り口にあり、バウンサーのいかついにーちゃんが仁王立ちしている。名前を告げ入り口でシャンパンをケータリングのスタッフから受け取り中へ。昔のレースから現在のレースの経過もわかるような素晴らしい写真が展示されている。今回はメインスポンサーのニコンの主宰ということもあり、ニコンUKの三輪社長によるスピーチも日本復興を願う彼自身の言葉により来場者にある意味の感銘を与えたことは間違いない。写真というものはそれが言葉の代わりをする。全ての情報が凝縮されたものが写真であり、そのメッセージを今回のプライベートビューで感じ取ってほしいと。。。


楽しい有意義なひと時だった。


(写真は会場で僕が気に入った1954年のレースの模様、この車は美しいの一言だ)

Sunday 24 July 2011

ピクニック





今日のロンドンは快晴。気温も25度。ロンドンの夏、という感じだ。日曜日ということもあって、家族でハイドパークにピクニックをしに行くことになった。ハイドパークにせよ、リージェンパークにせよロンドンの公園は素晴らしい。緑の多い街を象徴するかのようにあちこちに公園があるのがロンドンのいいところだ。公園内ではいたるところで家族連れがピクニックをしている。僕らもハンパーに色々な食べ物を詰めて外の空気と一体になりながらの、野外昼食、とでもいうのだろうか。。。外のさわやかな空気と周りの緑に癒されながらのランチは格別な味がする。子供の頃遠足に行くとお弁当がいつになく美味しかった覚えがあるのだが、やはり野外で食べる食事は何歳になっても美味しいということに気がつく。


食事の後は子供達とボールで遊んだり、長女のローラーブレードを次女とスクーターで追いかけたりしてハイドパークを走り回った。途中、アイスクリーム屋が移動型の店を出しており、休憩がてらおやつを食べながらの運動、とでもいうのだろうか、久しぶりに童心に返った気分だ。


運動をした後は、また芝生に寝転がり、ピクニックは肉体的にも精神的にもいいなあ、、と果てしなく青い空を見上げながら思った。明日あたり筋肉痛が襲ってくるのかな、、と思いつつもまた天気のいい日にピクニックに来ようと企てている自分がここにはいる。

Thursday 14 July 2011

kensington



ロンドンに戻ってきてからというものの、この一週間色々な雑用でばたばたと時間が過ぎてしまった。 日本とは打って変わって涼しくもさわやかな夏の日々を過ごしているのだが、贅沢を言わせてもらえるのなら、もう少し暑くてもいいのかな。。とも思う。


昨晩は久しぶりにオフィス近くの行きつけのパブでビールを呑んだ。久しぶりにモスクワからロンドンに戻ってきたロシア人のデザイナーの友達と呑みに出て色々と近況を語り合ったのだが、お互い忙しい身ということもあり2時間ほどの時間があっという間に過ぎていった。彼はもともとルイジコラーニのもとで仕事をしていたデザイナーで知り合ったのはもう17,8年前になるだろうか。芸術性の高いアウトプットを出す優秀なデザイナーだ。


僕のオフィスのあるケンジントンは色々な国籍の人達が住んでいる。アメリカ人、スペイン人、イタリア人、フランス人、ロシア人、アラブ人。。まさに本当の意味での多国籍な街といっても過言ではない。僕の娘の学校のクラスを見てみても両親共にイギリス人という子供はたったの2人である。たいてい、どちらか片親がイギリス人か、もしくは母親がフランス人で父親がスペイン人とか、混ざりまくった環境で、子供達が育っている。つまりほとんどの子供達はバイリンガルならずトリリンガルで、子供達同士は完璧な英語を基本としてコミュニメーションをしているのであるが、スペイン語がわかるもの同士であれば、スペイン語で話をしたりしているのも耳にする。ある意味日本では考えられない環境かもしれない。


僕のひいきにしているパブも例外ではなく、地元住民の多国籍者がまるで上記の学校の延長のように英語を基本として様々な言葉でコミュニケーションしながら、大人の時間を過ごしているのである。

大人の特権、というか酒が入った席であるが故に、こういった場でのコミュニケーションの中にはいつも素敵な笑いと、ユーモアあふれる会話がある。


さあ。今日も仕事頑張ろう。そしてまた機会見つけて呑みに出よう!


(写真はいきつけのパブとロシア人のデザイナーのセルゲイ)

Wednesday 6 July 2011

ロンドン到着

いやー超長旅だった。やっとロンドンに着いた。
ロンドンは快晴、気持ちのよい風が空港に降り立った僕の頬にキスをしてくれた。。なんてキザなせりふも言ってみたい気分だったけど、正直疲れた。。。

先日関西空港から夜中の2時にテイクオフしたことは前日のブログに載せたのだが、今回のエアラインの空港地上スタッフの対応に、日本が’失ったもの’とまだ’持ち続けているもの’を同時に見ることが出来た。実は夜中に空港に着くやチェックインしたのだが、出国時の手荷物検査場で、丁度僕が検査をしようとしたときにばったりと2人の地上勤務のスタッフの女性と鉢合わせになった。その女性が一般の乗客であれば、そのままどうぞ、と僕がすすんで順番を譲ってあげるのは当たり前だ。ただ、今回の場合には僕の乗るはずだった問題を起こした航空会社の地上スタッフであり、一人はまるで僕のことが全く目に入らないような態度でさっさと先に割り込むように入ろうとする。もう一人は僕を先に行かせるために順番を待っているばかりではなく、その先に行こうとしていたスタッフに何か一言二言、最初の彼女に僕に対し順番を譲るように言ったのである。

ここで、最初の娘は状況が見えてないばかりではなく、自己の思うがままに行動をしているのであり、一企業の社員としては失格だ。それにこれは乗客に対し、ただでさえ問題が起こっている状況での態度ではない。生まれつきそういう教育をされているのかどうかはともかく社会人として非常に嘆かわしいことである。もう一方の彼女はしっかりと自分の状況を理解しており、またその会社の一員としての対応をすることでしっかりしていると思った。この対比はまさに、今日本が失ったものと、守り続けてきたものの相反する社会状況を表しているように思えた。

機内へ搭乗後の客室乗務員達はイレギュラーなそれも全く予期せぬ状況で、夜中に発つフライトという悪条件のなか、12時間近く微笑を絶やさず素晴らしい対応だった。人の気持ちを理解する、ということは本当に大切なことだと思う。動きも、態度も表情も鈍い地上スタッフもいるなか、全力で遅くまで頑張ってくれた”日本を守り続けた”地上スタッフと、客室乗務員の方々にはお礼を述べておきたい。

無事ロンドンにつきました。ありがとう。君達のおかげだよ!ってね。

Tuesday 5 July 2011

今日一日の僕。

今、関西空港にいる。

時間?

時間は午前1時。

何してるの?

今朝、搭乗予定のフライトがフライトコンピューターの不具合でフライト不可能になって、何でも韓国からその修理パーツを運んでくるという説明だったんだけど、そのパーツが関空に到着予定時刻が午後4時、で修理とか色々で夜中の12時近くまでかかるらしい。。。

どうして韓国からパーツがくるの?

何でも今アジアのハブ空港と言われているところは、どうやら日本ではないらしい。韓国のインチョンや香港、そして英語が全く問題ない、そしてそれ故世界的な国際会議も行われるシンガポールの空港等が今やアジアのハブになっているということ。悲しいことに成田や関空ではないんだよ。前置きの説明が長くなったけど、そういうところに欧州の大手航空会社のメンテナンスや部品の調達をするところがあるらしい。まあ、駐機料も日本に比べたら相当やすいからねえ。

今まで何してたの?

航空会社がホテルを手配してくれてねえ。ハイアットリージェンシーのものすごく良い部屋だったよ。結構快適に休んで、仕事したり、メール打ったり、熱い風呂にも入ってすっかりリフレッシュ。まあ、グラウンドスタッフの中には動きの鈍い人も居たけど最終的にはよしとする。。。。かな。。まあ乗ってみるまでわからんけどねえ。


ということで、今午前1時5分。ラウンジでこれを書いている。2時のフライト(予定)だから、そろそろゲートまでいこうかな。しかし長い一日だ。あともう少し。まあ、乗ったとたん爆睡なんだろうな。

Monday 27 June 2011

梅雨の東京



昨日東京にはいった。今回のメインでもある、あるクライアントのプロトタイプのプレゼンのため100キロ近い荷物をもっての来日だが、荷物のサイズも半端なものではなかったために、持ち運びに普段使わないような筋肉を使いすぎたのか、1日経った今日の朝、時差ぼけと筋肉痛で目が覚める。ヒースロー空港でも羽田でも奇異の目でみられていたし、自分でもちょっと可笑しかった。

昨日は大阪関西空港にまずはいり、空港でシャワーを浴びて、その足で羽田の便に飛び乗った。シャワーで気分はすっきりしたものの眠気までは解消できずに羽田行きの便では爆睡。羽田到着後、超過料金を払った荷物をうけとり、クライアントのオフィスへ直行。。。無事にお披露目も終わり、夕方会食へ。じっとりと湿気の多い梅雨の気候によくあった冷たいビールで乾杯のあと、色々な話に花が咲く。クライアントの竹内さん、芦田さん、柳沢さん、それに富岡さんの4人と酒をかわしながら時差ぼけのこともわすれ楽しいひとときを過ごさせてもらった。1次会の和食のあとの2次会ではイングリッシュパブにいき、また笑いの絶えない時間を過ごし、最後の〆に’つけ麺’なるものを食した。そうこうしているうちに終電の時間になる。楽しい時間というものはいつもあっという間にすぎていくようにできている。。。。品川行きの電車の中で不覚にもいつのまにか寝てしまい、駅員に起こされるという場面もあったが、なんとかタクシーをつかまえ赤坂のホテルにアーリー?チェックイン(とは言わんな。。)

さあ、今日もミーティングがいくつかある。梅雨の東京の空に相反して張り切っている自分がここにいる。このテンションが下がらないように、今日もマイペースでいこう。

(写真は今回の重い荷物)と(クライアントの竹内さん、富岡さん、柳沢さん、芦田さん)

Friday 17 June 2011

UK Dance Challenge



今日は仕事を早めに切り上げて、長女の出る’ダンスチャレンジUK’というイベントの予選を見に行った。昨年も出場して長女のティームは優勝したのだが、まずは予選突破なるか、、、と思いながら会場に足を運ぶ。会場はSloane Squareに近いCadogan Hallで、ここは色々なコンサートなどが行なわれる立派な場所だ。


有名なダンサーやコメンテーターが審査員を務めるなか、色々な創作ダンスが行なわれる。しかし、そこにはまるで大人顔負けの振り付けと抜群のリズム感で、会場を沸かせる子供達がいた。さすがはイギリス!と唸ってしまう。ロンドンのWEST ENDなどには様々なミュージカルが見れる劇場があり、著名なダンサーもかなりの数いるが、そういった文化の中、子供の頃から音楽やダンスに常日頃から接している子供達のダンスセンスは素晴らしい。ブレイクダンス的なものにバレエのような踊りをミックスしたようなハイブリッド的な要素のあるダンスもあるかと思えば、抽象的なアートのようなダンスもある。どれもこれもが本当に素晴らしく、色々な人に見てもらいたいものである。


ロンドンとNYはミュージカルの本場とよく言うが、こういったことを子供の頃からやっていると自然とそうなるのだろうなあ、としみじみ思った。いやーしかし素晴らしかった。


長女の結果は予選2位通過、ファイナルで頑張れるかな。という僕の想いとは裏腹に娘は楽しめてるからそれだけで幸せだ、と微笑んでいた。まあ、結果はどうあれ、楽しめたのならそれでいい。




(写真はダンスチャレンジの会場)

Thursday 9 June 2011

ロンドンの車事情

ロンドンではオリンピックを来年に控え、あちこちで道路工事が行なわれている。もともと一通が多い都市と言うこともあり迂回する手段が限られるから一度渋滞にはまるとそれだけの時間がかかってしまうので、打ち合わせなどに行くときは要注意だ。ただ、こちらのドライバーは日本と違い、かなりマナーがいいと思う。勿論日本のドライバーが皆マナーがよくないといっているわけではないが、こちらでは道を譲ることを基本としているせいもあり、渋滞でも止まって全く身動きがとれないということはない。それに普段運転しない人、つまりペーパードライバーといわれる人が極端に少ないということもあるだろう。面白いことにほとんどの車はマニュアルシフトである。大型の車もそうだし、日本と比べてオートマティックのシフトが極端に少ないのも事実だ。

それはそうと、この時期になると天気がいつもいいせいか、コンバーティブルの車が町中にあふれてくる。聞けば世界で一番コンバーティブルが多い都市はロンドンだそうだ。雨が多い、天気が悪い、というイメージが付きまとうロンドンだが、実はこれ程、気持ちのいい夏を迎えられる都市もそうは無かろう。と思う。つまり、コンバーティブルで自然と一体になって、風を切って走るわけだ。考え方によってはECOでもあるし、エアコン使うよりはるかに燃費もよいだろう。街中を颯爽と駆け抜けるおにーちゃん、おねーちゃん、はたまた、おじさん、おばさんやおじーちゃん、おばーちゃんまでもがこの限られた気持ちのいい夏を満喫しているかのようだ。また、これが格好いいんだよね。お世辞抜きで。

アメリカでもカリフォルニアや冬場のマイアミとかはコンバーティブルがよく似合うけど、同じ事を日本でやったら、さぞかし暑いことだろう。いかんせん日本の夏には向いていない。熱中症になるのが落ちだ。

僕もチビが大きくなったら、コンバーティブルを買おう。そのときは街中を颯爽と走り抜けるじーさんになっていると思うけど、自然と一体になれる感覚はきっと同じだと思うから。

Saturday 4 June 2011

世の中



先日のブログに’きゅうり’の話しを書いたのだが、やはり今回の欧州のo104と考えられていた細菌の出所は胡瓜ではなかったようだ。’フーイヤン’(胡言〕ーデタラメ話しーとなって欲しいとも思う。と記した2日後にどうも胡瓜が原因では無いとする声明がドイツの保健相からでていた。どうやらこれは新型の細菌のようで、この先どのように解明、そして処置をしていくのか。イギリスでも既に何人かの感染者が出ているらしく、それも若い女性が圧倒的な割合を占めているのも謎らしい。


今世界中で色々な問題が起こっている。今回の食中毒の件もそうだが、日本では震災による天災、(はたまたよくわからない政治家による人災もあり)リビアを筆頭とする北アフリカ、中近東の回教圏による問題、、、世の中どうなっていくのだろうか。不安や不満ばかり生きていくのはプラスにならないことは百も承知だが、今こうやって先進国で生きている僕達が想像も出来ないような問題に直面している人々が世界には何億といる。



万人が、生かされている命とその生命力に感謝して日々の生活が出来るように祈るばかりである。






(写真は風評被害にあったスペイン産の胡瓜。スーパーでは皆買っている)

Thursday 2 June 2011

福島200

昨日のBBCのニュースを見ていたら、原発の被害で大変なことになっている福島で、原発復興ボランティアが’退職した勇敢な200人’と銘打って紹介されていた。その中で72歳の山田さんという方のインタビューが載っている。彼のインタビューは英語で行なわれているが、彼は彼なりに分かりやすいように自分の言葉で伝えたいことをしっかり英語で話していた。英語が流暢とか上手だ、とか言うレベルではないにしても、どこかの国の政治家に比べれば彼の英語での内容、そして彼の行いも、しっかりしていて聞き手が惚れ惚れするようなことを述べている。

彼曰く’自分達は70を超えている。もし原発の放射能の影響で発癌してもそれは20年、30年後のことであり、その頃はもう自分はこの世の中にはいない。だから、これから先の長い若者が行く必要はない。’と。その後、英国人のインタビュアーが ’まさにカミカゼ、ですね’ というと、’いやカミカゼの時代とはそのときの状況も危機管理のあり方、考え方も違うし、カミカゼのように片道で行くということではなく、自分達は戻ってきます。だからそういうだいそれた事ではない。’と。
彼らの中にはもともとエンジニアであった人達がほとんどだが、中には元シェフだった人、歌手だった人、色々いると。’そういった人たちもいて、仲間のなかで、元気ずけにもなるのだ。’と。
淡々と伝えたいことを話すこの山田さんの話を聞いていて涙線の弱くなったオヤジと化した僕の頬には一筋の涙が流れていた。彼らのような真の意味での勇敢な人達が日本という国を守ってくれるのではなかろうか。日本人として本当に頭の下がる思いだ。こういう人たちを見ていると自分も日本人として国際社会で恥をかかないようにしっかりと頑張らねばという意識も芽生えてくる。

http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-pacific-13598607

是非日本の若者には見てもらいたいものである。(どこかの国も政治家には特に見てもらいたいね。今日もわけのわからんことをこの大切な時期にやっとる人たちですよ。。情けない。。)

頑張れ日本。頑張れ山田さんのティーム200!!

Tuesday 31 May 2011

きゅうり から学ぶもの

今欧州では0104という大腸菌による食中毒が相次いで起こっている。亡くなった方もかなりいるようだ。どうもスペイン産の’きゅうり’から出たらしいということだが、イギリスのスーパーにいってもかなりの割合でスペイン産の野菜が売り場を占領しているといっても過言ではない。どこでどういう風に大腸菌が広がっていったのかはわからないが、欧州全土に広がる勢いを見せている。

この’きゅうり’で思い出したのが 故 司馬遼太郎氏の風塵抄という本である。この本の中で、きゅうりの話しが出てくる。一説を紹介したい。

以下引用ー

胡というのは、中国人が古来、周辺の異民族全体に対してそうよんだ。胡という語感に、デタラメとかトリトメナイというひびきが古来あり、今でも中国語で、フーホワ(胡話〕といえばたわごと、フーイヤン(胡言〕といえばデタラメ話しという意味になる。。。。。。。。。胡瓜は、奈良朝のころ日本につたわったが、渡来当時、表記として黄瓜、胡瓜が共に用いられた。黄なる瓜だから黄ウリという日本語が出来たと考えるのも愉快ではあるまいか。。。。。。、戦国末期ぐらいまでの日本は、胡瓜は黄にうれてから食べたらしいのである。。。。。。もっとも江戸時代になると青いままでたべるようになった。。。。


今問題になっているきゅうりからまわりまわって色々な知識が得られること自体が非常に得した気分になれるのであるが、逆に今回の’きゅうり’が一連の食中毒事件の原因である、ということが前述の’フーイヤン’(胡言〕ーデタラメ話しーとなって欲しいとも思う。これから来る夏、それも季節の野菜となれば、きゅうりにほかならない。一刻も早く事態が収束することを願うばかりである。

Wednesday 25 May 2011

ふと思ったこと

今日、日没時に車を運転していて、ふと思った事があった。
ロンドンの夜は暗い。夜のあるべき姿であり、そういう意識で周りを見渡すと。日本やアメリカに比べ、ここでの生活はほとんどのものが結構アナログで成り立っていることに改めて気がつく。日本では蛍光灯の電気がここぞとばかりに輝き、街中ネオンサインだらけ、その上最近はオール電化で全てをまかなうシステムもあるし、トイレに行っても自動でシートがあがったり、流すときもボタンをちょい、と押すだけ。。。これはちょっと考える時期に来ているのかもしれない。インダストリアルデザインという仕事がら電力とは切っても切り離せない立場にいることもあるのだが、省電力を考える前にいかに電力を使わなくてできるものがあるのかを考えてみるのもあたらしいアプローチかもしれないなあ、とも思う。前述のトイレに然り、キッチンや洗面所などもそうだし、一昔前極当たり前の生活として慣れ親しんだ事をすることも必要なのかな。今回の日本での大震災がなかったら、このようなことは考えてないかもしれないが、今僕達人間が出来ること、将来の子供達に残せる地球というモノは何なのか。。これからは人類が地球規模でのものの考え方をすることが必要だと思う。今後はもしかして、’モノ’のデザインではなく、’事’のデザインを組み合わせていかなければいけないのかもしれない。でもこうやってコンピューターを使ってブログ書いているのも電気のお陰なんだよな。。。矛盾しているといえばそうだし、本当の意味でのクリーンエネルギーとは一体何なんだろうか。。

難しいことを簡単に考えたり表現するのは難しい。簡単なことをわざと意味もなく難しく考えたり、もっともらしく表現するよりかは、もっと頭使うことは間違いないのだが。。。

Friday 20 May 2011

思い出
















昨晩、僕が11年前まで勤めていた会社での元同僚の送別会があった。前日のブログでもちょっとだけ述べたが、インドに家族で移住するという輩である。この会社は英国では最も有名なデザイン会社といわれ、若いデザイナー達はこぞってここの門を叩く。ちなみに僕がアメリカの大学でデザインの勉強をしているときの教科書ともなる本を書いたのがここの社長の一人だ。色々と'On the job training'で学ぶことも多かったが、今とは違った楽しいひと時を元同僚達と過ごせたのも事実である。僕がこの会社を去って自分の会社をここロンドンで興したのが11年前である。あっという間の11年。光陰矢如とでもいうのだろうか。。。会場に来ていた元同僚達に会ってより一層強く感じた。


会場は、昔僕達が毎日のように行っていたパブである。懐かしさとうれしさ半分で7時過ぎに顔を出すと、そこには懐かしい顔がたくさん並んでいる。まるで同窓会のような雰囲気である。それぞれ皆、単に老けたというよりいい大人の顔をしている。と表現した方がいいのかな。デザインを通してそれぞれ自分の道を探し当て、特化した専門分野の企業にはいったり、僕のように自分の会社を興したり、生き方は様々だが、こういった機会に顔がそろうと昔話に花が咲き、あっという間に時間が過ぎていく。久しぶりに昔にかえった自分がそこにはいた。

これも生きていく中での思い出の1ページなのだろうが、人間は皆こうやって思いでのページを増やしていくのだろう。人が生きると書いて人生というが、人に生かされているという考え方もあると思う。いずれにせよいい思い出になる送別会だった。インドに行く彼もこの思い出を胸に成功してもらいたいものである。











Thursday 19 May 2011

ロンドンの夏

今朝起きてみると真っ青な空とさんさんと輝く太陽が僕を迎えてくれた。
気持ちいい一日の始まりを予感させてくれるような、なんともいえない空気の匂いもあいまって、思わずにやけている自分がいる。

昨晩は友達のTONYと一緒に仕事の後に一杯引っ掛けに行った。常連と化しているケンジントンのパブなのだが、殊にこの季節、パブの庭で草木の香りを楽しみながら呑む’ぬるい’一杯はなんとも形容しがたい。またこのようなパブでは大人の雰囲気からでてくるイギリスの人間的で暖かい雰囲気をも感じ取れることが出来、幸せな気持ちになれるものでもある。ロンドンの夏は日が長く、6月にもなれば日没も10時くらいになる。この時期パブの庭で呑んでいると天空には半分が真っ黒な夜、もう半分が赤紫の夕焼けといったまるで絵の具を溶かしたような、自然のみがなしえることの出来る、それは見事なブレンド色を見ることが出来る。この独特な色合いはニューヨークやロンドンにはよく似合っていると思う。仕事の後に、また違った世界が楽しめるのがロンドンの夏の特権だ。12,3年前の随分前のことになるが、子供が生まれる前は仕事終わって、嫁さんとローラーブレードを担いでハイドパークに行き、あの広大な公園を一周40分ほどかけて廻っていた。その後の冷たいラガーだけを楽しみにして一生懸命汗をかいていたようなものだ。またあるときはテムズ川のほとりのパブに座り、ゆっくりと流れるテムズを観ながらまったりとしたぬるいビールを飲むこともあった。いずれにせよ、ロンドンの夏は最高だ。ここでは自分の時間、世界感を誰からも邪魔されずに過ごせる雰囲気を醸し出す土壌と気候がある。ロンドンの夏、それはある意味’大人’としての時間の過ごし方を自然と教えてくれているようなものだ。

今夜は英国を去ってインドに家族で移住する元同僚の送別会がある。彼は根っからのスコットランド人であり、15年前に一緒にロンドンのデザイン会社で仕事をしていた時に知り合ったのだが、今夜はスコッツらしく呑むのかな。彼のインドでの新たなチャレンジに敬意をこめ、成功を祈りたいと思う。

今日の’ロンドンの夏’もそれをまた特別なものとして演出してくれるに違いない。

Wednesday 18 May 2011

季節

久しぶりのブログ。毎日やろうと思っていてもなかなか出来ないでいる自分がいる。このブログを読んでくれている方何人かから、文字が小さくて読みにくい。。という意見をいただき、早速ちょっと大き目の文字で意図的にやってみることにする。自分のブログを改めて見ていると文字の大きさもばらばら。。出張先からブログをいれると文字の大きさなど気にせずやってしまう事が原因なのだが。。

さて、最近ロンドンは快晴で気持ちのいい日が続いている。朝夕はさすがにまだ寒く、時には冬に逆戻りか?と思うこともしばしば。これからが一番いい季節だ。来月末にはウィンブルドンも始まるし、いたるところで結婚式なども行なわれ、ロンドンが一年で一番輝いて見えるシーズンの到来だ。ジューンブライダルというのは、そもそもこの地域の一番いい季節のなかで行なうからそうなのであって、これを6月に日本でやるから、変なことになってしまう。梅雨の時期に、招待客も各々着飾っているのはいいが、傘を片手に参加。。。というのはいただけない。こちらで今まで招待された6月の結婚式はほとんど外で、レセプションが行なわれていた。これもこの一番いい季節だからこそできることで、よっぽどの場合を除いて誰も4月とか雨の多い冬の日にしようなんて思わないだろう。
いつになったら、日本人も目覚めてくれるのかな。。日本であれば、3月から5月、もしくは10月、11月くらいがいいのではないかといつも思うのだが。。考えてみれば日本で招待された結婚式のほとんどは6月だった。。

最近季節のいい事を理由にパブでビールを呑もう、とおもっているのだが、仕事が忙しくなかなか出来ないでいる。海外から出張などでお客さんが来てくれれば、色々理由をつけて呑みに行くのだが。。明日はパーティーに呼ばれている。丁度15,6年前にロンドンに来たときに一緒に働いていたデザイン会社の元同僚がその会社をやめてインドに行くらしく、その追い出し会-Leaving do-という奴だ。経済発展が著しい経済新興国として、ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカが BRICS とよばれてまだ間もないが、要はBRICS の一つであるインドに家族で移住するということらしい。今後の彼の成功を祈りたいものだ。

さてと、今日は一杯パブでぬるいビールでも呑めるかな。

Saturday 7 May 2011

バー



久しぶりのブログ更新。






3日前に日本からロンドンに戻ってきた。時差があるとはいえロンドンは日本よりも暖かく、その上日も長いのでなんだか得した気分だ。ブログというものはその日その日の様々な出来事や考えをタイムリーに書き出していかないといけないものなのだろうが、この2週間半の間、日本での滞在中にあまりにも色々な事がありすぎて時間もなくブログどころではなかった。ということにしておこう。(とはいえ、名古屋、浜松、東京、熊本、大阪 と夜になると不思議に時間ができてたから勝手なもんだ。。)




まず東京出張では必ず顔出す西麻布のバー無垢。ここに行くと日本に帰ってきたと思えるから不思議なものだ。薄暗いバーの渋い雰囲気でいつも癒される。無垢の渡邊さんの寡黙でダンディーな姿とゆっくりとした丁寧なトークが、このバーの雰囲気をもっとオーセンティックな雰囲気にしているようだ。日本について最初の1週間は仕事でバタバタしていたが、東京での仕事モードの合間にいける有難いバーである。今回の東京滞在中にいつも呑むラフロイグが、次の日の打ち合わせに行くときに汗として出てきたのにはまいった。。シャワーも朝から浴びたのだが。。


仕事モードが終わるとロンドンから連れてきた家族の待つ熊本で残りの日々を満喫できた。ちょうどいい感じの気温と熊本らしい初夏の匂いを楽しむことも出来、昼夜にかかわらず有意義なひと時を過ごす事が出来た。


ある晩、熊本の街で、TWO FIVE というピアノの絵の描いてある看板を発見。初めての店なのに’JAZZ’のサインにふらふらと入っていくとなんともいえない懐かしい雰囲気のこじんまりしたバーがそこにはあった。バーカウンターの回りは所狭しと色々な楽器がおいてある。何でもマスターの渡邊さんという方は全ての楽器を演奏されるという事で、ほろ酔い加減の僕のピアノの演奏にウッドベースでセッションしてくださり、JAZZバーだということも忘れ、挙句の果ては私の十八番フランクシナトラのFLY ME TO THE MOONをピアノとベースだけで歌わせていただきました。。歌詞も勝手に替え歌風にして歌ったのだが、いやー初めて飛び込みで行ったバーでとる行動とは思えないずうずうしさで今思えば苦笑いするしかない。。いやーしかし楽しかった。


その数日後、僕の知り合いが’VODKA BAR’なるいいバーがある、という話をしていた事を思い出し、忘れかけた熊本の夜の街をそのバーを捜すために散策。メインの通りから入った横丁を一つ一つ見ていくと、、ありました、FIRST DRAGON。ここのマスターの仲村さんという方は、もともとロシア第二の都市、サンクトペテルブルグの日本領事だった方で現在は故郷の熊本で空手師範として道場での活動をされている他に、彼なりにこだわりのあるサンクトペテルブルグ産のみのVODKAを出す店のマスターとして魅力ある雰囲気を提供されている。格闘家ヒョ-ドルの友人でもある控えめのマスターとのカウンターを挟んでのトークもお店の雰囲気にあっていて楽しいひと時を過ごさせていただきました。


今はロンドンに戻ってきてたまった仕事とのバトルが続いている。今度日本に行くのは6月の末になりそうだ。それまでまたしばらくはラフロイグもJAZZもVODKAもお預けだな。。。


(写真First Dragonの仲村さんと)






Thursday 28 April 2011

東京滞在







東京滞在中は、畏友白洲信哉と久しぶりの再会。
土曜日にはレクサスの岩田さんと信哉、それにDDSの三吉野君と四人で高輪に朝8時に集合し’レクサスLFA’というトヨタの最高傑作のスーパーカーで静岡は清水市まで鮨を食いに行く、というその場で決まったプランでの行動。この車のパフォーマンスに圧倒されっぱなし。。まあ、F1で高速走っている様なものです。。値段が値段の車だけに濡れた路面もきびきびと走るまさに走る芸術品だ。途中信哉が前方にフェラーリと一瞬だけ併走。並んだ瞬間後ろから見た2台の車は圧倒的にLFAの勝ちだと思った。(残念なことに正面の迫力は後ろのインパクトほど無かったのは残念だった。。)ただ、一度運転すると次の日になっても、エンジン音や,ハンドルの感覚が忘れられないという今までに味わったことのない衝撃を覚えた上に夢にまででてくるという,忘れられない思い出となった。。。清水の鮨もうまかったなあ。。最高の車に最高の鮨。。しかし朝ご飯で鮨食ったのは初めてだった。。

日曜は日曜で信哉の家に招待されて彼の料理を食う。彼のもてなしはいつも肩のこらない,それでいて季節にあった最高のものを用意してくれるすばらしいものだ。映画監督の李闘士男さんも一緒にあっという間の日曜の夜を過ごさせてもらった。

そうこうしているうちに熊本に戻る日が来る。LFAの感覚がまだ手に残っているうちに熊本に飛んだ。熊本にはロンドンから連れてきた家族が待っているし、ようやく本当の意味での休暇のスタートだ。残すところあと一週間の滞在だが、温泉とかいろいろ連れて行こうと思っている。ロンドン戻れば仕事がたまってるだろうし,心機一転頑張ろう。

さて、明日の予定を考えながら今日は寝ることにする。


(写真はレクサスLFA と 畏友 白洲信哉)

Thursday 21 April 2011

東京

今日もばたばた忙しかった。かなり動いた上に時差ぼけもまだあるようで、つかれました。
明日にはまたブログ更新できるかな。。。

Wednesday 20 April 2011

久しぶりの日本

ひさしぶりのブログ更新だ。ここのところ信じられないほど忙しく書けなかった。。。という言い訳はよくないな。。僕の兄もよく読んでいるらしくつぶやき程度でもいいから書いた方がいいよ。と言ってくれた。まあ、確かにそうだな、と今後はなるべく更新していきたいと思う。

実は今日本に来ている。4日ほど前に、子供達のイースターホリデー(復活祭)を利用し、僕の出張にもあわせての久しぶりの日本である。欧州では’日本に行く’というだけで皆そろって信じられない、という顔をする。僕たち一行は大阪経由で九州に入ったのだが、東京行きの飛行機はキャンセルが出るほどのガラガラ状態だと聞いた。。。とりあえず家族を熊本において、僕は即名古屋へ飛んだ。名古屋での仕事のあとはDDSの三吉野氏と猫博士の服部氏と食事をし、久しぶりの名古屋を楽しむ。翌日浜松に行き、早朝の駅でローランドの福岡氏とコーヒーでお互いの近況を確認しながら仕事の話をする。相変わらず若々しい福岡氏との付き合いもかれこれ12、3年になるが時間の経つのは本当に早いものである。

浜松のあとは新幹線でそのまま大船での打ち合わせに向かう。打ち合わせ後は歓迎会なるものでうまい酒を呑んだ。(富岡さん、竹内さん、芦田さん、柳澤さん、おつかれさまでした。おかげで楽しい時間を久しぶりの焼き鳥で堪能できました。)

大船を後にし再び東京へ。品川辺りでうとうとしていると携帯が鳴る。みるとSHINYAの表示だ。渡辺さんのところ(バー無垢)にいるから来いという。僕も渡辺さんのところにはちょうど顔をだすつもだったので、奇遇と言えば奇遇だ。渡辺さんには相変わらずうまい酒を呑ませていただき、僕のデザインした白洲次郎ボトルもいただいた。ありがとうございます。しかし、無垢さんでの時間は本当にいい。悪友信哉と騒々しく、楽しく呑めることも’東京に来たなあ’と実感する瞬間だ。しかし、忙しくもいい時間を過ごした一日だった。

Tuesday 8 March 2011

春到来

久しぶりのブログ更新だ。年末から昨日まで、信じられない様な忙しさでブログを書く暇もない状態だった。昨日ようやく一段落してほっとしているところだ。学生の頃はよく徹夜でプロジェクトを仕上げていたものだがさすがにこの歳になっての徹夜は後々身体に応える。中身は全く変わっていないつもりでも年とってる、ということだ。

昨日仕事を朝6時に終え、オフィスからハイストリートにでると見事な朝焼けが疲れた僕を迎えてくれた。なんともいえない春の香りともあいまって、疲れているはずなのに妙にすがすがしい朝を感じることが出来、おもわず笑みがこぼれてしまった。オフィスから車を止めている場所まで歩く間に草木の香りや、早くからあいているコーヒーショップのコーヒーの香りとなんとも形容しがたく、つい幸せな感が込みあがってくる。自然に生かされているという、ということも最近よく感じることである。今世界中で色々な問題が起こっているが、地球の歴史や自然界の法則からすればちっぽけなものなんだろう。TWITTERでもちょっとつぶやいたのだが、特に春先の新たな命が芽生えてくる時期に自然と人間の共存のありかたを考えることが多いことに気がつく。

これからは日照時間もだんだんと長くなって、いよいよ本格的な春の始まりだ。この独特な空気の香りと朝焼けや夕焼けの美しさを一瞬一瞬心に刻み込んで生きたいものだ。来月は日本に行く予定だし日本でも春が満喫できるかな。楽しみだ。