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Tuesday, 30 November 2010
12月

Friday, 26 November 2010
France



Monday, 8 November 2010
言語
彼らは実に流暢な英語で話をする。ポーランド人の若者は僕が5年位前にに会ったときは英語がからっきしダメでおぼつかないような感じであったが、今日久しぶりにあったら驚くような変貌振りである。ただ、もっと驚くことに、実は英語以外の言語を2,3、話すことが出来ることである。確かに東ヨーロッパの連中は仕事の多いロンドンにやってくるケースが多い。ここ数年で何十万人というポーランド人が出稼ぎに来ているとも聞く。ただ、彼らはある程度の学歴と仕事の経験を持っており、仕事そのものもかなり丁寧で、安心していられるのも事実だ。そういった技術を生かすために西側に出てきて仕事をすることが目的であって、言語は道具、つまりツールでしかない。一時期の日本人が海外留学で言語を学ぶためだけに来ていた時期があったが、それは大きく間違っていたと言えよう。言葉は目的ではなく、それを使って何が出来るか、が本等の意味でのインターナショナリズムであり、実際ボーダーの近い欧州の国々ではそれが歴史的も頻繁に行なわれていたようだ。英語が出来ると、すごい、と思う日本人もまだいるかもしれない。しかし、英語はコミュニケーションのツールであるということを念頭において中身のある発言が出来てこそ、言葉としての意味を成す。中身はないが英語の発音は旨い、というのでは話にならないし、かえって、周りから馬鹿にされるのは必至である。勿論ネイティブのように流暢に話しをして、かつ話の内容が伴っていないとある程度以上に仕事は出来ないし、尊敬もされない、とみたほうがいい。こちらの地元の新聞を読んで、語彙を増やし、かつラジオなどを聴き、言い回しを勉強して、かつ専門分野を伸ばす。これが今の日本人にとって今後の重要な課題だと思う。勿論英語である必要はない。スペイン語でも、中国語でも、イタリア語でも何でもいい、日本の若者も見聞を広げ、自分の可能性をもっともっと探って、あたって砕けるつもりで頑張って欲しいものだ。
余談だが、今の日本の外交を見ているとまさにそれを強く感じる。へたくそでも良いから国際語としての英語で中身のある発言を対外的に言える人材を待ち望んでいる。今の日本政府はどうなってるのかね。まったく。。。
Sunday, 7 November 2010
natural history museum


11月5日から1月9日まで期間限定でのオープンなのだが、これが素晴らしく美しい。周りの景色も、音楽も、その雰囲気も、そして何より夕方の冷たい空気がよりいい感じを醸し出しているし、周りには簡易設置のメリーゴーラウンドまでもあり、童話に世界にいるようだ。NYにもロックフェラーセンターにスケートリンクがあり、僕もそこで何度かスケートをしたことがあるが、あれにも負けない美しさだと思う。お陰で今日は足が痛くて閉口した。日本もどこかの歴史的な建物の近くにこういった雰囲気のいいものを毎年冬場の行事のように作るようなシステムがあれば、いいかもしれないと思った。スケートをするしないに関わらず、気持ちの安らぐ場、として活用することが出来るのは非常にメリットのあることだと思う。
冬到来
英国では5日にGUY FAWKES NIGHT ー(参照:http://en.wikipedia.org/wiki/Guy_Fawkes_Night)というイベントが各地で行なわれ、いたるところで、花火が打ち上げられ、大人から子供までもが盛り上がる。まあ要はお祭りと言うことだが、これはもともと実在したガイ フォークスという人物が謀反物として処刑されたことに由来するのであるが、これもその当時の法律や宗教観念の違いによる社会が下した判断で、善し悪しは不明だと僕は思っている。
ただ、現在に至ってはお祭りーイベントの一つとして認識されているようだ。
こういったお祭り騒ぎが終わると、冬が加速してやってくる。クリスマスに向けての飾りつけなどで通りも賑やかになってくるということもあり、殊に欧州ではいい雰囲気を感じることの出来る季節ではないだろうか。当然仕事も12月になると忙しくなるのではあるが、(師走といわれる日本と同じ)クリスマス前にはパーティーの参加の機会も多いために、仕事がどんなに忙しくても不思議と人々の顔は普通よりかはにこやかに思える。この時期は皆パーティーの準備をするために、12月頭までは街中のブティックには華麗なドレスが所狭し、とディスプレーされ、(特に女性は毎年ドレスを買い換えている人がほとんどのようで)お洒落に気を使う女性達の購買欲をそそるようだ。まあ、そういったお店も稼ぎ時の季節なのだろう。(ちなみに男性のディナージャケット(タキシード)はいつも変わらないので大助かりでもあるー勿論太らないことが条件だが。。。)そしてある程度アルコールで疲れた頃、丁度クリスマスの日になる、という按配だ。クリスマスそのものは家族のものであり、イブの日は教会のミサに夜中に出かけ、当日は家庭で各々過ごす。そのために街中も静かなものである。ちなみに当日は各家庭で七面鳥を丸ごと焼き、グレイビーと一緒に食べ、デザートにクリスマスプディング、というのがこちらの家庭でのクリスマスの過ごし方だ。そして、そうこうしているうちに新年を迎える、という流れになる。僕たちも12月にはいったら、七面鳥をオーダーするようにしているが、この料理も大変なだけにキッチンでのバトルもまた楽し、である。
そういえば、ちょうど2年前のクリスマスイブの日に仕事で東京にいたことがあり、新宿の駅で友人と待ち合わせをしていると、ちょっと一杯引っ掛けた感じのサラリーマンの方々がケーキを買って足早に家路につく姿が見受けられた。’クリスマス=ケーキ’という日本での単純な構図、つまり宗教上の意味がほとんどない日本らしい情景ではあったが、それはそれで、家で待っている子供や奥さん達のために、また彼らの喜ぶ顔を見たいという気持ちがあってこそのケーキなんだろうなあ、、と思った事がある。子供にもは夢を与えられるし、理由はどうあれ素晴らしいことだ。と思う。
Monday, 1 November 2010
ハロウィンの子供達
ケンジントンは裕福な家が多いため、とんでもないお金持ちがとんでもない家に住んでいるのも珍しくない。そういったところはハロウィンのためにものすごい飾り付けをしている家も多い。昨今の景気のせいか皆がそうしているわけではないが、通常家の門の前にカボチャのライトアップや骸骨などが飾ってあるところは、子供達のTRICK or TREATを受け入れているところだ。家によってはそこの家主がお化けに扮して子供達を待っている気さくなところもあれば、逆にお手伝いさんに全部をやらせている心のこもっていないところもある。気さくなところでは、子供達は待ち受けている知らないお化けとの出会いとそのやり取りの末もらうTREAT(つまりお菓子をもらう行為)とあげる行為とのやりとりを楽しみにしているのである。いわばお祭りのようなものだ。小さな子供からティーンエイジャーまで様々な’こども’がいるが、皆一様に楽しんでいる平和な風景がそこには存在する。ふと僕が小さなときにお寺の境内から繋がる沿道でやっていた人の波でごったがえす露天の夜店を思い出した。この辺りは親の仕事の都合上様々な国籍の子供達がいる。自分の子供も、勿論そうだが、お菓子をもらって嬉しそうに微笑んでいる子供達を見ているとどこの国の子供達も純粋で本当にかわいいなあ、と思ってしまう’おじさん’になった自分がそこにはいた。
Wednesday, 27 October 2010
次世代の教育
何がすごいのかって、、その場で予期せぬ質問があることだ。
例えば:
1.英文学の学生に対する質問:なぜイングリッシュの学生は、この50年もの間’コロネーションストリート’〔イギリスのドラマで日本でいう庶民ドラマ〕に興味を持っていると思いますか?説明しなさい。
2.音楽専攻の学生に対して:もしあなたが新しい楽器を発明するとしたら、それはどのような音をだすのか?説明しなさい。
3.生物学の学生に対して:ここにサボテンがあります。これについて説明しなさい。
4.神学〔宗教理論〕の学生に対して:エクストリームスポーツや、極限に挑む様なアクティビティーといった、命を掛けるようなことをする人たちはヒーローか?それともバカか?説明しなさい。
5.心理学の学生に対して:人間にとって’ノーマル’とは何か?説明しなさい
6.生態医学の学生に対して:なぜ猫の目は暗闇で光るのか?説明しなさい。
これらの例は、ジョークでもなんでもなく、本当にあった出題で、いかに理論的に自分の考えやアイデアを表現できるか、ということだ。これを見て、思わず唸ってしまった。というのも超名門といわれ、ノーベル賞受賞者もケンブリッジ大学の80数名についで50人近く輩出しているオックスフォード大学と、かたや日本の大学受験での入学システムの違いがあまりにもありすぎるからだ。日本の場合、暗記、公式、傾向と対策といったいわば詰め込み型の教育であり、思想的には自由度に欠ける。もちろん今までの日本の社会構成には非常にうまく機能していたと思う。というのも一度会社に入ればそこで教育をされなおし、うまく機能しながら出世していく。ただ、ここで僕が疑問に思うのは、このような従来の方式では、ある特定の才能に秀でている人間には向かない、ということだ。僕はなにもオックスフォード大学のまねをしろ、といっているのではなく新しい思想やアイデアを育めるような環境、それを取り巻く人たちが、今後、そういった人材が必要になるであろう時代を見越して、フレキシブルな教育体制を取れないものだろうか、ということだ。
日本の最近の若者は海外に行きたがらない人が多いと聞く。非常に嘆かわしい事であり、また問題でもある。政治家にしろ、医者にしろ、スポーツ選手にしろ今後の社会にはもっと広い思想をもって、色々な国の人たちと仕事をするケースが増えてくるのは必至だ。もっともっと外に出て頑張れる人材が育つ環境が大切になってくる。
今後の日本の教育がどうなるかは分からないが、少なくとも今のような体制では良いとは思えない。世界で通用するような人間を目指し、世界から欲される人材になるためにも日本の若者にはもっともっと頑張ってもらいたい、と心から願う。