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Thursday 7 October 2010

審美眼


今日オフィス宛に茶道をされている方から手紙が届いた。EーMAILのこの時代にいただく直筆のお手紙は、ある意味新鮮で非常に有難いものである。僕たちの世代は手描きからコンピューターに移行した世代で両方を使いこなせるハイブリッド世代である。アナログもデジタルもこなせる非常に器用かつ便利な世代ともいえる。


この手紙に2枚のポストカードが同封されていた。一つは国宝の曜変天目茶碗、もう一つは青花秋草文壷なるもので非常に素晴らしいものである。実物を見たことはないが、こういったものは昔からの審美眼に優れた人たちによって守られてきたのであろう。いつか拝見したいものだ。改めて日本文化とその作者、探り当てた目利きの方に感謝である。こういったものは時にして作者不明な場合も多いらしく、どちらかというとそれを見出し、実際にお茶などの文化の中で使った方々の功績も大きいのだろう。


僕は毎日がデザインと言う仕事柄、アナログとデジタル、つまり前述のハイブリッド手法で製品をクリエイトしている。クリエイトと言うのは、’作る’ のではなく ’創る’のである。’作る’もしくは '造る’はお隣の国に任せて、これからの私たちは '創る' なければ生き残れない時代に来ている。そういった時代に生きていても、陶芸家の作品などを見ていると、心が休まる思いがするし感動もひとしおだ。昔の僕には考えられなかったことである。僕の畏友、白洲信哉も現代の目利きで彼から学ぶものも多い。いつだっかた、大琳派展というものが上野の国立博物館であり、そのときも展覧会の後に彼と落合い、行き着けのバーで飲みながら語り合ったことがある。日本文化をプロデュースする彼らしい発言もあり、非常に楽しいひと時でもある。

何年か前に、陶芸家の細川護光君から、いただいた茶器があるのだが、これも僕のお気に入りで大好きなラフロイグを飲むのにも重宝している。護光君の審美眼も彼自身の家系から来る血もあるが故に極端な例ではあるが、いいものをたくさん見て育つと言うのは何よりもいいことだと思う。机に座って勉強ばかりではなく、また、テレビにかじりついてゲームばかりでもなく、そういった真のアナログである審美眼、と言うものを少しでも育てられるような社会、環境を大人の僕達が創り、またそうなってほしいとも思う。そういえば周りを見渡すと結構なアナログ物がたくさんあることに最近気付いた。

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