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Friday, 25 November 2011

アメリカのTHANKS GIVING

12月がもうそこまで来ている。ここのところ、公私ともにものすごい過密なスケジュールで動いている事もあり、なかなかブログのアップデートが出来ていない。何かその日のちょっとした出来事でもいいから、感じた事等を書こうと思っていても後回しになってしまう。僕たちのようなクリエイティブインダストリーの人間は年末になると意味も無く忙しくなる。たとえそれがどの国のクライアントの仕事であれ同じような傾向にあるから不思議なものだ。


今アメリカではTHANKS GIVINGの時期である。アメリカでのTHANKS GIVINGは、クリスマスと同じくらいに大切な行事のひとつであるとはいえ、アメリカの友人達は皆口を揃えて、色々な準備が大変だと言っていた。家庭を持つ親としての自覚から来る重たい言葉ではあるのだろうが、’大変だ’と言う言葉の端々には家族と会える楽しみを心待ちにしている雰囲気が感じられるのも事実である。またこの時期になると、昔のことも思い出す。。僕がアメリカで学生生活をしていた時、毎年決まってやってくるTHANKS GIVINGの休みに様々な友人やクラスメート達が気さくに実家まで招待してくれ暖かくもてなしてくれた。大学のキャンパスでは男女問わず休み前になると、’THANKS GIVINGの休みはどこかにいくの?’と必ず聞いてくる。’いや、、まだ、、どこに行くか決めてないんだ。。”等と言おうものなら、じゃあこれこれこの日に私の実家においで。おいしいものがたくさんあるよ。” となるのである。アメリカ人の気さくさは、特に一人暮らしだった僕には非常にありがたかった。THANKS GIVINGとは、もともとその年の収穫ーハーベストーを感謝して始まったのであるが、開拓時代からある、ある種のフロンティアスピリットを未だに持っているアメリカ人達はTHANKS GIVINGという行事によってその年の無事を感謝し、そして今のアメリカを形成してきた。イギリスにはもちろんTHANKS GIVING というしきたりは無い。(しかし、こちらの大手のスーパーやデパートには、それに関係する食品を売っていたりもする所もある。)



今、日本等では留学離れが進んでいると聞くが、アメリカに留学する予定の若者にはTHANKS GIVINGの雰囲気は是非味わった方がいい、と声を大にして言いたい。ドメスティックな事だけではなく、色々な意味でアメリカという国が理解できると思うから。

Thursday, 10 November 2011

僕にとってのロンドン

ロンドンという街の魅力を一言で言えば、’人間らしさ’、ということが上げられる。その昔、ルネッサンスとはなんぞや?という問いが中学校の試験などに出ていたが、日本中のほとんどの学校では’文芸復興’と教えていたようで、これが試験では ○ なのである。ただ、運良く僕の先生は、ルネッサンスとは’人間性の回復’と教えてくれた。’文芸復興’なんて答えようものなら、即 × である。 ’人間性の回復’、、、ロンドンで、この歳になって彼が教えんとしていたことが身にしみてよくわかるのである。

僕のようにクリエイティブインダストリーの仕事をしている者にとっては、ロンドンのように世界中のクリエイティブプロフェッショナルが集う街ほど魅力のある都市はなかろう。クリエイティブ、と言っても僕のような工業デザインーだけではなく、建築家、映像クリエーター、ファッションデザイナー、ミュージシャン、造園家、、あげればきりがないのだが、こういった人達が集まる街としてはロンドンは世界一ではなかろうか。勿論英語という公用語がある故、世界各国の人達が集まれることに起因しているのは事実だが、物創り(あえて物造り、とはしない)に対する考え方がフリーであるということも考えられる。フリーと言っても自由ではなく、要はある一定の条件のもと、それに最適な物創りをしていくうえでの考え方、発想の原点がフリーなのである。薀蓄をどれだけ語ってもダメであり、どこかの国のように声が大きいものほど偉くなるのとはわけが違うのである。ある意味人間臭く、同時に最先端の情報もしっかりと身につけているのである。

また、ロンドンは大都市でありながら、そう感じさせないところも多々あることも魅力のひとつだ。ちょっと足を伸ばせば、近場に美しい風景があり、日常の全てが僕のようなデザイナーにとっては作業場であり、書斎なのである。何気なく生きていても、この感覚はまるで呼吸をするかのように自然に身についていくものなのである。僕の第2の故郷となったロンドン、これからも僕に力を与えてくれることだろう。

Sunday, 30 October 2011

時計の針を戻すこと

今日、というか正確には昨日の夜中の12時にこちらロンドンは冬時間になった。一時間時計の針を戻すのであるが、毎年この時期になると、半分焦りのきもちもあるからか、’年末が来た’と痛感するのである。歳を重ねるごとに時間のスピードは加速する。あっという間に一年が経つ。光陰矢の如し、とはよく言ったものである。

昨日BBCのサイトを見ていたら、ウェストミンスターにある通称BIG BENの時間を戻す作業の記事があった。通常僕達の生活の中で一時間時間を戻すということは、その分得をした、と思うのが当たり前だが、この作業をしているワーカーの方々は前日の9時から命綱をつけて5時間をかけて針を戻すのだそうだ。BIG BENには4つのフェースがあり、それら全ての時間を戻し、調整するというまことに大層な仕事である。彼らだけが、この’得した一時間’という概念をもてない人たちだ。とその記事に書かれていたが、まさにそのとうりだと思う。

歴史や伝統を守るということは時間と戦う、ということでもある。ただ、このような戦い方を誰が想像しただろうか。ロンドナーだけでなく、BIG BENに恩恵のある人たちも少なくはなかろう。今夜はいつもより早く日が沈んでしまったけど、命がけで作業をしてくれた彼らに’乾杯!’といこう。

Tuesday, 25 October 2011

韓国





久しぶりのブログ更新だ。ブログというものはタイムリーに更新しないと新鮮さだけではなく、自分自身、つい先日の思い出や出来事そのものを忘れてしまい、よくないとは分かっていてもなかなか色々な事情で出来ないものである。


先週は韓国に出張へ行き、その足で日本へと仕事でいった。


そもそも韓国行きが決まったのは、他でもないマツタケパーティー(畏友の白洲信哉のブログ参照:http://www.shirasushinya.jp/blog/)を韓国で行なうという知らせがDDSの三吉野君からあり、皆の都合を合わせた結果その週になったという次第だ。勿論、マツタケだけのためにロンドンから韓国に行くということはありえないために、仕事と絡めてのわがままな日程調整を聞いていただき、今回のイベントになったということを付け加えておく。


今回は三吉野君の会社の韓国支社長である、池さんと彼の先輩で前回日本でのLFA試乗会にも参加された安さんのホストで、レクサスの岩田さん、畏友の白洲信哉、前述のDDSの社長の三吉野君、そして僕という6人での、いわば、チョイ悪オヤジどころか、極悪オヤジ(失礼)の集まりでのイベントで、秋の韓国を堪能させていただいた。ホストの安さん、池さんが素晴らしいマツタケを3キロも用意してくれ、安さんがオーナーでもあるソウルの’松寿司’で、コレでもか、というほど食ってきました。


和食に造詣が深く料理の腕前も一流である信哉のリクエストでの料理もあるかと思えば、そこで肉と一緒に焼いてくれたもの、はたまたマツタケご飯など、至れり尽くせりでのイベントで至福のときを過ごしたのである。昼間に仕事しているときからこのイベントが気になって仕方なかったのではあるが、何とかこなした後のやろう6人衆のパーティーは本当にすばらしいものだった。勿論マツタケだけではなく、その後呑みに繰り出し、楽しんだのはいうまでもないが、地元の安さん、池さんの素晴らしい接待が、逆に今の日韓のギクシャクした関係を考えさせられた。彼えは本当に礼儀正しく、いい’漢’であり彼らから学日、考えさせられることが多いと思ったのも事実だ。


僕にとっては生まれて2度目の韓国だったのだが、行く度に人々の温かさや、礼儀正しさを感じることの出来る国。また、是非韓国に行きたいと思う。ロンドンに戻ってきて、家族に色々な話をしたのであるが、僕の家族も興味を示し、今度日本に帰省するときには是非韓国経由で行って見たい、と言っている。日本の隣人として、そして今後のアジアを活発化させるようなパートナーになれるようなそんな関係がいつかできるといい、と深く感じた。


安さん、池さん、有難う。



(写真は韓国の表参道、と言われているところー名前を失念しましたーで、極悪オヤジ6人衆。)

(呑み屋での畏友、白洲信哉とのツーショット)

Sunday, 9 October 2011

カントリーサイド




昨日はNational Trustのサイトの一つClandon Parkに車で出かけたのだが、到着してから土曜日はやっていない、ということが発覚。うーむ。何たる失態。せっかく来たから近くにどこかNational Trustのサイトがないか地図で調べると一つこじんまりとしたHatchlandというところがある。ロンドンを出た時間が遅かったこともあって、ランチには遅すぎるし、ディナーにははやすぎる時間ではあったが、そこにレストランも併設しているというので行って見ることにする。典型的な英国の田園風景と呼ぶにふさわしい美しい環境の中、なかなか立派な建物がある。ここのレストランで軽く腹ごしらえをすることに。スティルトンとブロッコリーのスープとフランスパン、それにジンジャービールという一見質素に感じられるが、まあ、軽食だから、とそれを注文。田舎、と日本語で書くと失礼だが、要はカントリーサイドの軽食には、あまり期待はしていなかったのだが、それはそれは美味しいものが出てきてびっくるする。ウエイターやシェフも出てきてサーブしてくれるのだが、彼らの接客態度といい、立ち振る舞いといい、ロンドンの都会のレストランと引けをとらないような洗練のされ方だ。



欧州や英国では日本でよく言う’田舎’という言葉は、日本のそれとはかけ離れたものがある。まず、ファッションや立ち振る舞いもそうだが、こちらの田舎はロンドンの中心地と変わらない洗練のされ方がある。日本ではまずありえないことだ。日本だと、’田舎’に行くと本当に ’いなかっぺ’ の文化があり、垢抜けない、という日本語がぴったりだ、と感じることも多かろう。こちらの田舎、つまりカントリーサイドでは都会で生活する人たちも多く生活している。つまり、仕事はロンドンで週末はカントリーサイドで、といったパターンの人々ガいるかと思えば、生活そのものはカントリーサイドで、何か重要なことがあるとロンドンにもある家へ出かけるような、要はカントリージェントルマンのような生活をしている人たちもいまだに多いということなのである。そういった洗練されている人達が周りにいると自ずから’田舎’は’田舎’では無くなるのである。ビレッジと呼ばれるところも、それを’村’と直訳するととんでもないことになる。美しいところが非常に多いのが常であり、それぞれのビレッジが何らかの素晴らしい特徴を持っているのだ。



日本も政治は中央集権でいいとしても、文化に関しては色々な地方ー’カントリーサイド’各々の特徴を前に出せるような考え方をしていかねばならぬ日が絶対に来ると思う。ただ単に思うだけでなくそうなって欲しいものだ。それぞれの地方が洗練されていくことによって日本人の民度はもっとあがることは間違いないだろうから。




(写真はスティルトンとブロッコリーのスープ、とジンジャービール)

Wednesday, 5 October 2011

異常気象

今地球のいたるところが色々な、そして異常な気象に見舞われている。日本の大地震もその一つだが、台風の影響や、それにより起こった洪水問題等、枚挙に暇がない。

ちょうど一月ほど前に日本に出張したときも、あまりの暑さに閉口したのであるが、その暑さから気温8度のロンドンに戻ってきたときは25度も違う気温差に体がなじむまでが大変だった。そのロンドンでこの10月に入ってからのこの3,4日間、まるで忘れられた気まぐれな夏の太陽が、冬支度をする人たちにいたずらをするように突如30度近い気温を持ってきたのである。毎日が雲一つない快晴で、それ自体は嬉しいことなのであるが、突然表れた真夏日に、何か遊ばれているような、そんな感じだ。

今、北極圏でもオゾン層の深刻な破壊が指摘されている。僕達人間は、地球規模の環境問題を考え、日本の原発問題で提起された今後のよりよい環境存続という課題も含め、色々なチャレンジをしていかねばならない次期に来ている。地球は5億年経っても美しい姿を残していくのかもしれないが、その頃には人間はいない。という説を何かで見たことがあるが、ここ10年の間の酷使され続けている地球を見ているとそうなるような気もする。地球はいま悲鳴を上げ始めているのだ。

Monday, 26 September 2011

グルメ都市、ロンドン

ロンドンという都市は’グルメ’という言葉が似合わない都市だと昔から言われていた。確かに欧州に旅行で来た事のある人ならば、欧州で食事の美味しいところはどこだと聞くと、イタリア、スペイン、フランス、、などが真っ先に出てくるのが常である。確かに北欧で食事するとあまり旨いとは思わないが、イタリア、スパイン、フランス以外にもポルトガルやハンガリー、ギリシャ等といったかなり美味しい物に出会える国があるのも事実である。しかし今日夕食を食べていてふと思った事があった。実はロンドンほどグルメな都市は世界中そうないのではなかろうか、、と。確かに日本の食事は美味しい。日本人として、いやこの地球に住む地球人として、日本食は美味しいと思う。日本食は四季折々の食材で食べるものを五感で楽しませてくれる。ただ、一般で言う食材の確保、という点に関しては日本国内ではバリエーションが少ないように思える。

ロンドンでは一般人が何か料理しようというときに、それが何料理であれ、たいていの食材が簡単に揃う。中近東やアフリカに近いということや過去に植民地を持っていたという事実から、色々な国出身の人達が生活しあらゆる食材があちこちから入ってくるからだ。つまり、料理に興味があり、それを真剣につくろうという思いのある人であれば、ロンドンほどグルメな都市はないのである。今日はイタリア料理を食べたのであるが、これと同じものを日本で作ったら、その辺のお店では材料がまず揃わないと思う。もし明日タイ料理、あさってギリシャ料理を作ろう、と思ってもロンドンではすぐに食材が揃うし、それに会うワインのバリエーションもかなりの数、あるのである。

僕がロンドンに来た16年前も、まともなレストランは限られていたように記憶している。なんでも昔は、富裕層にはお抱えのシェフが必ず居るし富裕層以外の層では外食は高すぎて行けないために、外食産業が発達しなかった。と聞いたことがある。最近のロンドンのレストランはモダンブリティッシュクイジンを経て色々な種類が出てきている上、ロンドナーの舌も肥えてきた為か、旨いところがめっぽう増えた。僕も料理が好きである。旨いところにいくと、それ以上のものを作ろうと躍起になることもあるが、食材がすぐに手に入るということは有難いもので、あっという間にレストランでも開けそうな料理が出来ることもある。

さぁて、明日はどこか変わったところの食材で、昨日買ったワインにあう、食事を作ってみようかな。一週間に一度か2度くらいしか料理をしないのではあるが、子供達も結構楽しみにしていることもあって、腕によりをかける、ととでもいうのかな。今から楽しみだ。